仁科関夫少佐のお誕生日なので靖国神社に行ってきた
4月10日は回天菊水隊仁科関夫少佐のお誕生日。
曇っていたけど雨が降ることはなさそうだったので、靖国神社へ。
おめでとうとありがとうを伝えて、桜の写真を撮りまくりました。
やはり結構散ってしまっていた、、
でも今年も、よくこそ咲いてくださった。
みんな綺麗です。
歩いていたら一枚だけ胸に飛び込んできた桜の花びら。
なかなか桜キャッチできることがない人生だったから嬉しくなって、パスケースで押し花にしてます。笑
もらった御朱印が達筆すぎてかっこよすぎて膝から崩れ落ちました…なんだか仁科さんっぽいなあと思ったり。
そういえば黒木さんのお誕生日にもらった御朱印も踊るような字で、黒木さんっぽいなあって思ったなあ。笑
帰り際に遊就館の売店に寄って本を購入。
ずっと、いつか買おうと思ってた片山利子さんの本と、パラパラしてみて読みやすそうだった古事記の本!
古事記はやっぱり、日本人として知っておかなきゃなあと思って。もともとクリスチャンホームということもあり、神話とか全然未知の世界なんで…
なので読みやすいものを探していたのですが、この本が子供も読めるくらいやさしい内容になっていて「これだ!」となりました。
あと、あらすじみたいなところに「自分らの国の神話知らん民族は滅びるで」みたいなことが書いてあったのも、購入ガチ決めした理由の一つ。笑
二冊とも頑張ってよもーう\(^o^)/
ここで、仁科さんが14歳の誕生日を迎えた際に書いた日記を。
「今日は僕の誕生日だ。ぼくもこれで満十四歳になったのだ。実に十四年一日の如く、光陰矢の如し。もう十四年の月日は流れたのだ。うかうかしてはおられぬ。やがて年をとるだろう。しっかり励もう」※現代仮名遣いに直しています
(前田昌宏「回天菊水隊の四人」より)
まるで自分の人生を理解しているかのような14歳の彼の言葉に、ただただ驚くばかりです。
そして今日は回天轟隊久家稔大尉のお誕生日。
彼が遺した言葉で、私の中に印象が残っているものをひとつご紹介します。
妹さん宛に遺した言葉たちの中にある一節。
「蓮の花は泥沼のなかにありながらあのような清らかな花を咲かせる。いかに汚穢に充ちた世界にあっても、信念を堅く持っておれば、それには染まらず、生きて行けるものである。」
(回天刊行会「回天」より)
魚住少尉命中を見た
もともと、このドラマ内で搭乗員が「回天節」を歌っている、というのをネットで知り、それが聴きたい理由を一番として、見たいな〜と思っていた作品。
しかしネットで出品されているDVD(廃盤のため)は、大体5000円ほど…回天節を聴きたいという理由だけではなかなか手をつけられずにいました。
そんなこんなで1年以上スルーしちゃってたのですが、この間ふとこの作品のことを思い出し、ネットで作品のレビューをなんとなーく読んでいると、高評価ばかり。
これは回天節関係なく見るべきものだ!と確信し、やっと購入。
今の感想は、ただただ、買ってよかった。
すっっっっごい作品だった。
主観で話すと、私が今まで見た回天関係の作品の中で、一番ヘビーでした。いい意味で。
「物語」の作り方が、とにかくすごい。
ドラマの全体の時間は60分。回天が発進してから命中までの時間は大体30〜40分。
そう、この作品はドラマ内で、リアルタイムで回天発進〜命中を再現しているのです。
もう、始まってから終わるまで身体がガチガチに緊張してやばかった……
そして魚住少尉が命中した直後からの自分の身体の力の抜け具合と、艦内のみんなのそれぞれの表情を見て、しばらくぼーっとしてしまいました。
DVDのパッケージに書かれているあらすじに、「「1隻でも油槽船を沈めることが出来れば、B29はその分だけ、本土に爆撃が出来なくなる。そうすれば、何万かの日本人が生き延びることが出来る、だから僕は出撃する。」これか魚住少尉の選んだ生き方であった。」とあります。
本編での魚住少尉の言葉も含め、小灘利春さんが書かれた「特攻回天戦」に載っていた、吉本健太郎中尉が仰られたという「生をうけたその時代が求める最善」という言葉を思い出しました。
DVDには演出の吉田直哉さんのインタビューも収録されていたのですが、吉田さんがドキュメンタリー番組からドラマ制作に転向したワケは、「回天の発進から命中までの時間を再現したかったから」。
ドキュメンタリーで再現できるものではないと思い、この作品を作るためにドラマに転向したとか。
発進してからの魚住少尉の回想は、もちろん吉田さんの憶測、完全なフィクションとなるわけですが、その回想シーンがまたこりにこっているんです…。
「人は何か思い出す時って、映像と音声ってバラバラだと思うんです。」
なるほど、だから喋ってないのに喋ってたり、映像に音がなかったり、突然歌が聞こえたりするのか…!と納得。
またこの作品は、回天搭乗員の方々の手記や実話を元に作っているそうで。
魚住少尉が恋人に宛てた手紙内に、本井文哉少尉のご遺書が引用されているのは分かりました。
そして魚住少尉が、決して後ろ向きではなく、前向きに淡々と雄々しく描かれているところも、すごく良いです。
あと、21歳の中尾彬がイケメンすぎてつらいです…(;ω;)←
回天節もしっかり歌われてて、よかった!
メロディを知ることができて嬉しいです。
潜水艦内に、そして魚住少尉の脳内に入り込む60分。
最後に、艦内で聴く魚住少尉の「命中音」。
これはすごい。
本当にすごい。
見れてよかった、本当に。
特攻隊全戦没者慰霊祭に参列してきた
去年特攻隊戦没者慰霊顕彰会の会員になったばかりなので、今年初めに案内を頂いて、慰霊祭の事を初めて知りました。
慰霊祭に参列すること自体が初なので、だいぶ前からそわそわどきどき…
失礼はなかっただろうか…
でも、感謝の気持ちと、魂の安らぎをしっかりと祈ることが出来て本当に良かった!!
式では奉納演奏として「ふるさと」の合唱があり、この間の大津島のおじいさんの話を思い出して泣きそうになりました…。
全国で行われている慰霊祭等に参列する人数が減りつつあるというお話を聞いて、これからは積極的に動きたいなあ、と思いました。
「次の世代に繋げる」の「次の世代」にいる者として…
桜は…ちょびっと咲き!
今年も、美しく咲いてくれる事でしょう。
広島・山口旅行その④
3/20、この日は三好守中尉のご命日。
せっかく山口にいるのだから光基地に行こう、と思い光井港にやってきました。
光井港に来たのも一年ぶり…
前回は日没ギリギリに来た上に携帯の電池が切れてろくに写真が撮れなくて泣きました( ;∀;)
今回は雨の危険性があったのですが、到着したのは朝だったので少しの曇りだけで免れました!よかったー!!
回天の碑の真横で、おじさま達がお船の整備をしておられて……
そーっとお供えをして手を合わせたのですが、一人のおじさまに「おじいちゃん?」と聞かれる。笑
動揺しまくりで「いや、違うんです!本で読んで来ただけです!」と答えたらめちゃくちゃ不思議な顔されてしまった…笑
そりゃそうですよね…すみません…
しかし、「大学生?」と聞かれたのは正直嬉しかった(*´-`* )←
三好さんは、私が初めて読んだ回天の本、元回天搭乗員横田寛さんの「あゝ回天特攻隊」に出てきたので私の中でとても印象的な方。生まれも近いし!
部下や家族に対する愛が誰よりも深いし、ユーモアもあるし物怖じもしない。
何より横田さんが、血の繋がった兄貴と言わんばかり慕っている姿を見れば、魅力的な人だということは十分わかります。
72年前に思いを馳せて。
どうか安らかに。
これにて今回の旅は終了。
広島・山口旅行その③
3/19、Kさんは早朝に呉へと旅立たれたので、一人で一年ぶりの大津島へ。
ここ最近私生活で色々とあり何も調べていないどころか本も全く読んでおらず、下準備ができていないままの島散策……
しかし最近回天記念館のホームページがリニューアルされて、菊水隊の短刀伝達式や写真撮影を行った場所などがどこかが詳しく紹介されていたので、ホームページを見ながら色々と回れました(^-^)
まずは基地入口門の門柱。公園の中にあったのか……
奥にある階段をのぼってみると……
こんな景色が!!
初めて来た!!3回目の大津島だけど!!(もっと調べて行きましょう)
しばらく海をじっと眺めて、トンネルへ。
酸素魚雷発射試験場のとこには、釣りしてる人がたくさんいた。
その後は回天記念館へ。
柿崎隊の方々の墓碑のすぐそばには、黄色いお花が咲いていました。
そして短刀伝達式を行った場所には、桜が咲いていました。
記念館はいつ来ても、全て見て回るのに2時間はかかります…
ちなみに記念館のトイレの真横が、写真撮影をしていた場所らしいです。
ここであの写真を…と考えるとしばらく動けなくなりました。
記念館を出た後は時間があったので…
ずっと行こうと思っててなかなか勇気が出なかった魚雷見張り所に行ってきました。
もうね、想像してた以上に、めっちゃ山。←
普段運動全くしないサイドの人間にとって過酷すぎて、途中で登ったことを後悔すらしました(′;ω;`)笑
しかし負けたくないので(謎の闘い)ガクガクする足を必死に動かしてとうとう見張り所へ…!!
THE・綺麗!!!!(;▽;)
こりゃめちゃくちゃ見張れるわあ〜!!!
ちなみに建物は敷地ギリギリのサイズなので写真にはおさまりませんでした。笑
登山を終えて清々しい気持ちで港付近に戻るもまだまだ時間はある……
ということで今まで歩いたことなかった海沿いの道を歩いてみました。
するとこんな看板が……
なんだこの比較しやすい看板は( ;∀;)
君とはもっと早くに出会いたかったよ( ;∀;)(もっと行動しましょう)
ホームページの内容も合わせて読み返したところ、どうやらこの茶色くてちみっとまるっとしたもの(係船柱というらしいです)が当時の陸と海の境目の意味を持つようで……
今は埋め立てられて敷地が広がってるようです。
大津島より出撃した彼らが見たであろう景色の現在の姿。
ひと通り見て回ってもフェリーの時間はまだまだ来なくて、公園をうろついてたら島に住んでるおじいさんに声をかけられました。
戦争当時の島の話などをたくさんしてくれたのですが、そのおじいさんは仲の良い潜水艦乗組員の方がいたらしく、よく島に来ては一緒に飲み、当時の話を聞いていたとか。
その乗組員の方のお名前を聞いて、思わずおじいさんを2度見してしまった…
本も出版しているし証言もしてらっしゃる伊366潜の池田勝武さんでした( ゚д゚)
池田さんは当時の話をするといつもポロポロと泣き、飲んで童謡の「ふるさと」の3番を歌っていたそうです。
ふるさとの3番:
こころざしを果たして
いつの日にか帰らん
山は青き故郷
水は清き故郷
おじいさんは「帰れるわけないのにねえ…」と言っていたので、搭乗員の方が歌っていたのを思い出し池田さんが歌った、ということなのでしょうか…
どちらにしてもふるさとの歌詞の3番の意味を深く考えたのはその日が人生で初めてで、心に響いて泣きそうになりました。
ちなみにおじいさんは「なぜみんな鉢巻をしていたか分かる?」と。
答えられずにいると、「あの鉢巻はね、自決する時口に挟むんだよ」と仰られました。
戦争の話を直接聞く機会なんて全くなかったので、おじいさんの一言一句が衝撃的でした。
フェリーの時間が来てお別れしましたが、とても貴重な体験でした。
次の日は光の回天の碑を見に行く予定だったので、この日は光に移動して一泊。
次につづく。
広島・山口旅行その②
3/18、この旅行の最大の目的である海幹校の卒業式へ!
4度も見学に行っている場所とはいえ、普段見学できる敷地部分しか把握してないので、入口で貰った紙を見ながら歩くも全く分からずとても苦労しました…(自称軽度の方向音痴)
式が始まるまでの時間、あの赤レンガの中に入ることが出来て、もう興奮で手が震えまくり。笑
興奮しすぎてはしゃぎまくってたのでいい写真はほとんど撮れませんでしたが(笑)、本当に貴重な体験をさせてもらった…!
私の大の憧れである兵学校生徒が実際に生活していた建物……そこに今私が立っているなんて……!!(泣)
とか考えて1人勝手に感動してたら、大講堂前には既に長蛇の列ができており、完全に出遅れる始末。笑
式ではピカピカの幹部さん達のエリートオーラがすごすぎて、平民の私は土下座したくなりました。←
見送りは、兵学校の卒業式のあの感じのまますぎて感動と寂しさと興奮が入り混じってめっちゃテンション上がっちゃいました…笑
軍艦マーチ生演奏最強だし、それに合わせてキレイに行進する幹部さん達すごすぎるし、帽振れと出航最高に泣けるし、もう色々やばかったです。(語彙力)
頑張れ幹部さん!!
終わった後は頭を切り替えて徳山に直行!笑
友人Kさんと久しぶりに再会し、Kさんが行きたいと言っていた和菓子屋さんの寿美屋さんへ行きました。
寿美屋さんは回天のお饅頭などを販売されているお店です。
私が購入したのは春限定「さくらもなか回天」
限定という言葉に弱い私。そういう所だけ乙女だなんて、自分で腹立つわ。笑
中には回天についての紙も入ってました。
今さっきもなかを食べたのですが、封を開けた瞬間桜の香りがふわっと🌸
中にはつぶあんがぎっしり詰まっていて、最高に美味!!
お店の方が言うには、この辺ではお花見と言ったら大津島に行くんだそうで。桜の名所らしいです。
大津島に桜を見に行かれる方がいらっしゃったら、ぜひお土産にさくらもなか回天をオススメします\(^o^)/
私は次行ったら、回天まんじゅうを買ってみよう!!
夜はいつもの通りドジな事をたくさんしてKさんにたくさん迷惑をかけたのですが(笑)、たくさんお話ができて楽しかった♡
次につづく。
広島・山口旅行その①
広島〜山口の旅から帰ってきたので、忘れないうちにその記録を。
3/17の昼頃に呉到着。
てつのくじら館であきしおカレー食べていざ江田島へ。
あきしおカレーかわいいけど、予想以上にめっちゃからかった…笑
江田島では兵学校見学ツアーに参加してきました。なおこれで4回目。笑
教育参考館を見て回る時間が毎回足りなくて…今日もまた新たな発見がありました。
前田中尉の生年月日が柿崎中尉と同じ大正11年生まれになってた…!
回天刊行会の本では前田さんは大正13年生まれ
になってたのですが…どっちが正しいんだろか
夜は呉に戻ってお好み焼き♡
久々のお好み焼き!美味しすぎた!(´;Д;`)
広島のお好み焼きが最強に大好物なのでさっそくテンションぶち上げ。笑
調子乗って野菜大盛りにしたら案の定食べきれなくて結局1/3くらい彼氏に食べてもらうというバカなことをしてこの日は終わりました…
次につづく。