紫紺の空の一つ星

趣味まるだしのブログ。回天特攻隊が中心。ご来訪頂き感謝致します。

柿崎実中尉のまとめ

柿崎実中尉について、自分なりにまとめてみました。

自分が本や資料を読んで今現在分かっていることと、推測な部分を詰め込んでいるのでご了承ください。

間違い等ありましたらご指摘いただけると幸いです。

 

 

柿崎さんは大正11年8月3日、山形県酒田市に生まれました。

上原光晴さんの著書「「回天」に賭けた青春」によると、男ばかりの6人兄弟の5男だそうです。

ですが回天刊行会の「回天」には、3人のお兄さんと1人の弟さんと思われる方、そして妹さん(と、本には書かれています)宛てのご遺書が載っています…(ちなみに妹さんの存在は、上原さんの本ではいとこと書かれています)

上原さんは直接ご遺族に取材されているので確実かとは思いますが、正確な兄弟構成をご存知の方がいらっしゃいましたら、教えて頂けると幸いです。

 

兄弟構成の話で長くなってしまいましたが…

柿崎さんは昭和15年に(旧制)酒田中学校を卒業後、18歳で兵学校72期を受験し、合格。

その年の12月から江田島海軍兵学校生徒として教育を受けます。

 

昭和18年9月に兵学校を卒業し、そのまま軍艦「八雲」に乗艦し、11月には空母「瑞鶴」乗組となりました。

昭和19年8月、潜水学校12期普通科学生の発令を受け、広島の大竹へと向かいます。

 

しかし開講直前の9月4日、開講を待っていた兵学校72期の7名が教官から突然呼び出され、「第一特別基地へ行け」と言われます。その7名には柿崎さんも含まれていました。

そして第一特別基地隊大津島分遣隊、所謂回天の大津島基地に着いたのが9月6日のことでした。

 

基地で激しい訓練の日々を送り、12月21日、金剛隊隊長として伊56潜に乗り込み、大津島基地より出撃しました。

 

特攻作戦ですから、一度出撃すれば戻っては来れません。

しかしそれは、「潜水艦が無事に目的地に到着し、回天が無事発進する」ことが前提です。(特攻作戦に限る話ではありませんが、潜水艦自体が行方不明になってしまう事もあります)

柿崎さん達(金剛隊の隊員4人)は、この出撃を4度繰り返したのです。

 

この時期はまだ泊地攻撃だったので、回天の発進時刻が統一で決められていました。 

昭和20年1月12日、この日が全金剛隊の回天発進予定日でした。

しかし敵の警戒が厳しく、なかなか突入ができません。

1月14日、攻撃回避のための長時間の潜航、そして第六艦隊司令部からの帰投命令により突入中止 となり、2月3日大津島に帰投します。

 

3月2日に、金剛隊の時と同じ隊員で、今度は神武隊隊長として伊36潜に乗り込み、大津島基地より出撃しました。

しかし3月6日、作戦変更となり帰投命令が出て、その3日後の9日に大津島へ再び帰投しました。

 

それから少し経った頃、回天光基地では伊47潜で出撃予定であった多々良隊が、2名が殉職、1名が病に倒れ、編成し直しとなりました。

そこで柿崎隊の4人が光基地へ向かい、もともと多々良隊の隊員であった2名と共に、伊47潜多々良隊隊員となったのです。

 

3月29日、多々良隊隊長として伊47潜に乗り込み、光基地を出撃しました。

しかし29日、30日と敵の攻撃が激しく艦は負傷、回天もベコベコにへこんでしまいました。31日に第六艦隊より作戦中止の帰投命令が下り、4月1日に光基地へ戻ってきました。

 

4月20日、艦の修理も終わり、今度は「天武隊」として、伊47潜で再び光基地より出撃します。

 

そして5月2日。

沖縄海域にてついに敵と遭遇。「回天戦用意!」という号令が艦内に響き渡りました。 

午前11時頃、柿崎さんの乗った1号艇が発進、その約20分後に、命中音と思われる大爆発音が鳴り響き、艦を揺らしました。

享年22歳。没後の階級は少佐です。

(書籍は横田寛さんの著書「あゝ回天特攻隊」、小灘利春さん・片岡紀明さんの著書「特攻回天戦」、ザメディアジョン発行の「人間魚雷回天」、「日本海軍潜水艦史」に載っている佐丸幹男さんの証言を読みました。)

 

 

柿崎さんの人物像についてはまた別記事で。

人生は障害を踏み越える闘争だ

「人生は、障害を踏み越える闘争だと言う。そうかも知れぬ。いや確かにそうだ。

一人一人がそれ相応の障害にぶつかり、それと闘いつつ、それに打ち勝って行くところに、その人その人の幸福があり、人生がある。

幸福とか人生の意義など、相対的なものではない。

人一人一人自らが創り行く、その人々の絶対的なものだ。」

(回天刊行会「回天」より)

 

この言葉は、水井淑夫少尉が高校時代の日記に書いたものです。

 

この言葉から、「人生、いかに自分自身と向き合うことが大切か」ということを学びました。

一人一人、人生で乗り越えていかなくてはいけない障害は違う。それに従ってその先の一人一人の「幸福」も違う。

自分の人生の意義も幸福も、大切なのは「自分が導き出すこと」なのです。

 

だからこそ、他人を評価したり、また評価されたりということは、あまり意味のない事です。

とある事や物が自分の人生で大事であっても、他人の人生はそうとも限らない。その逆も然り。

頭ではわかっていても、つい人と比べたり、人を評価してしまったり…

 

しかしそんな時間があったら、目の前にある壁を乗り越えなきゃな、と思いました。

自分自身の障害から目をそらさずしっかりと向き合い、闘いたいです。

 

 そして水井さん自身も、自分の人生の「障害」と向き合っていました。

 

「しからば俺の幸福はどこにあるのだ。

俺の障害は現在のメランコリーだ。

この自己卑下、自己否定、自信の喪失だ。俺はこれと闘わねばならぬ。

これを打ち破り、行く手に光明を見出すことこそ俺の高等学校生活の最高の幸福であり、高校生活の意義があるのだ。

自分の悩み、それは何でもよい。それと闘うこと、それにあるのだ。(後略)」

(回天刊行会「回天」より)

 

予学4期の方の本を読んでいて、水井さんは4期の中でも軍人タイプのお方という印象を受けていました。強気でサッパリしている、みたいな。

しかし彼はこのような障害を自覚しており、また幸福に向かってこれを乗り越えようと決意している様子が日記から分かります。

 

23歳で、回天多聞隊として南の海で散華された水井さん。

人生というものをこのように考えた彼は、自らの障害と闘い、人生を走り抜いたのだと感じました。

見送ってきた

だいぶ遅刻投稿ですが…

5月に、半年間日本からいなくなるお船たち(←)のお見送りをしてきました😊

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朝7時から船を見学できるとのことだったので、前日にホテル泊まって7時に直行。

こういう時だけはきっちり目覚められるから、本当に普段の自分は見習って欲しい!(他人事)

 

前回の体験航海で撮りそこねた浮き輪を、無事撮影してきました!

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お船に乗ると記念に撮りたくなる浮き輪…パンピ乗艦あるある笑

 

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8時に生国旗掲揚を見る。笑

直立不動の敬礼の姿勢が美しい…

日本を背負っている彼らの背中の逞しさに胸がグッとなる…

私は暑さでフラフラしながら見てました。← 

 

船の見学は前回し尽くしたので、国旗掲揚を見た後は講堂?的なところでひたすら喋ってました。今思えばなんて贅沢なひととき!笑

真近で制服をじっくり見る機会なんてないもので、階級章の桜にスパンコールがくっついてる事を初めて知りました。きれい!

帽子は「くさいから」という理由で被らせて貰えなかった…( ;∀;)笑

 

そして式典の時刻が近づき正装?(帝国海軍の第2種軍装みたいなやつ笑)姿のJ様が続々と増えていく…(最初はみんな半袖の制服でした)

生正装姿に大興奮な私…詰襟最高…

 

そんなこんなで涙のラスト面会タイムを終え、式典へ。

お船の前で、真っ白な制服でびしっと整列してる姿はとっても美しかったです。

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式典中はもちろん彼らのことをガン見しているわけですが、白が反射して眩しくて眩しくて…!!←

あっついのと眩しいのとでだいぶ過酷な式でしたが、長袖で日差しをもろに浴びてる彼らはもっとキツかったことでしょう…

号令かけてるうぇーぶのお姉様がとにかくかっこよかった…最強に憧れる…

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式が終わりとうとう乗艦。

You○ubeで見まくってた出航の映像が目の前に広がってました…

出航ラッパ→出航よーい!→軍艦マーチの流れを実際に体験して、リアル泣きそうになりました( ;  ; )

軍艦マーチは勇ましくて元気が出る曲で大好きだけど、こういう時に聴くと破壊力がすごすぎる…

しかも出航よーい!の直前にお見送りのご家族の方が「いってらっしゃーい!」と叫ぶもんでもう色々つらすぎて唇噛みまくり…(しかし動画はブレない構えできっちり撮る笑)

 

その後はお船が見えなくなるまでずーっと海を見つめておりました。

乗艦している彼らも、見えなくなるまでずっと直立不動の姿勢でした。天晴れなり…

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いってらっしゃい。頑張ってきてねー!!

 

さて、この日はびっくりするほど晴れまして。

晴れたおかげで私の両腕は日焼けで酷い目にあったのですが、、笑

とうとうやりました、念願の潜水艦見ながらスタバ☕️💓笑

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潜水艦どーこだ♡(ぼけてる笑)

暑かったのでフラペチーノが五臓六腑に染み渡り(笑)、ガラス越しに潜水艦も見えて最高でした!

 

 

半年間、自分も色々頑張ろう。

とりあえず、積んでる本の消化と資料整理と情報まとめとゆかりの地巡りを…って海軍関係のことばっかりですが、自分磨きもしていく予定です。笑

海の底でじっと耐えていた

 

headlines.yahoo.co.jp

戦後、五島列島沖にて海没処分となった潜水艦たち。

処分から70年が経ちましたが、ついこの間、海底に突き刺さった状態の潜水艦が発見されました。

伊58かそれと同じ型の潜水艦なんじゃないかということで調査中らしいです。

この状態でよく70年も耐えてくれた。暗くて冷たい海の底で。

 

将来的に伊58が引き上げられたら、記念館をつくることも目指しているということも書かれていたので、是非とも実現してほしいです。

伊58は回天搭載艦でもあるので、今回の事を機に回天を知る人も増えたらいいな、なんて思ったり。

クラウドファンディングで調査資金を募っているとのことなので、皆様是非に。↓

https://academist-cf.com/projects/?id=47

 

回天とともに出撃し、戦い抜いた伊36、伊47、伊53、伊58、伊366、伊367が眠る五島列島沖の海底。

いつか24隻の潜水艦すべてが特定される日が来ることを願っています。

 

最後に、海没処分される前の潜水艦たちの動画を。

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お船に乗ってきた

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こないだ行ってきました。

お船に乗ったのは観艦式ぶり!

フェリーよりも大きいお船のあの独特な揺れは、懐かしくもあり相変わらず少し「ウッ…」となりますね。笑

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雨が降る前に全体を見て回ることができて満足!

そして出港用意を間近で見ることができて感動。

艦長の叫び声もラッパも「出港よーい!!」もかっこよかった♡

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テキパキと仕事をこなしている乗員の皆様を見て、改めてJってかっこいい!!と思いました(*´-`* )

うぇーぶのお姉様達の凛とした美しさにはつい見惚れてしまいます…♡ 

そしてなにより、お船で生活していることに大尊敬…

私、あの中で生活は無理だ…←

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貴重な体験ができて感謝(^_^)

 

解散場所が横須賀だったので「終わったら海軍カレー食べて潜水艦見ながらスタバ飲も♪」とか呑気に考えていたのですが、解散時間はちょうど、もう最強の土砂降り。笑

でも滅多に横須賀なんて来ないので意地で食べに行きました…海軍カレー!!!笑

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よこすか海軍カレー館というお店で、元祖よこすか海軍カレーをいただきました。

初めて牛乳付きのカレーを食べたのですが、カレーで辛くなった口を牛乳で緩和させられてとってもいい組み合わせ!(辛いの苦手)

次からカレーと牛乳はセットにしていきたいと思います。笑

 

食べ終わっても雨は止まず…

ほぼ全身がずぶ濡れだったのでスタバは断念して帰宅しました。笑

次こそ!横須賀スタバデビューするぞ!!!

 

 

 

さてさて、本日は5月18日ということで、森稔少尉のお誕生日でございます。

森さんの数あるエピソードの中で特に印象に残っている言葉を。

中学時代に、ご友人に言っていたとされる言葉です。

「オレは兵隊が好きだ。兵隊は汽車賃も半額、映画も半額、理髪屋も半額、命も半額だ。この命を半額以上に長らえんと思う青年があったらこの戦争は負けだ。オレに続け」

(北海道回天会「回天と北の若人」より)

伊47天武隊出撃時回天配置推測図

伊47天武隊出撃の時の写真を見ていて、ふと6基の回天の配置がどうだったか気になり、誰が何号艇だったかも含め、整理してみました。

横田さん、小灘さんの本や佐丸さんの証言と、写真で認識できる彼らの顔を照らし合わせて、合っているかどうかは分かりませんが図を描いてみました。

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iPhoneのアプリで描いたので酷い絵&字でごめんなさい…

すごいカタチしてますが、一応、真上から見た潜水艦を描いたつもりです…(酷さ)

 

前に前田さん、新海さん

後ろに柿崎さん、古川さん、山口さん、横田さん

という配置は横田さん本に書いてあり、ザメディアジョンの本や北海道回天会の「回天と北の若人」に掲載されている伊47天武隊出撃時の写真の説明文で前田さん、新海さんの並びは分かりました。

問題は後ろの4人なのですが、横田さん本によると、横田さんの前に柿崎さん、そして山口さんと古川さんに挟まれているとのこと…

私がこのことについて整理するきっかけとなった、後甲板の3基が写っている写真をよく見ると、左側の回天に立っている人が古川さんに見えまして…

そうなると、(横田さんから見て)横田さんの右隣が古川さん、左隣が山口さんということになるのかな、と思いこの図を描きました。

推測というより憶測に近いですが、自分用のメモとしてここに残しておきます(^^;)

5月7日

今日は天武隊の前田肇少佐のご命日です。

本日も靖国にお参りしてきました。

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金剛隊より柿崎隊長、古川上曹、山口一曹とともに過ごしてきた前田中尉。

5月2日に戦友3名が突撃してから、5月7日に自身の突撃の時を迎えるまで、彼の心中は察するに余りあります。

 

神州護持の礎石となられた前田さん。

御魂の安らかならんことをお祈り致します。

 

最後に、前田さんが潜水艦内で書かれていた日記より。

「敵艦ニ当リテ果ツル大丈夫ハ 寝顔静カニホホエミニケリ」

(回天刊行会「回天」より)