まだまだ修養の途なり
突然ですが…
10月に開催されたフィギュアスケートのロシア大会の、羽生結弦選手のフリープログラムを見て、一瞬で羽生くんファンになりました。笑
羽生くんの存在は、オリンピックでも金メダルを獲ってたのでもちろん知ってましたが、演技を見たことが実は一回もなくて。
たまたまロシア大会での「SEIMEI」をフルで見て、その華麗さにびっくりしました。
氷の上を滑っているというより、空を自由に飛ぶ天使とか妖精にしか見えませんでした…重力を感じさせないというか…笑
また、SEIMEIの曲調と、キラキラと美しい和風な衣装に、羽生くんの端正なお顔立ちが最強にマッチしてて、フィギュアを見てるというか、妖精の舞を森の中で偶然見てしまった感がすごいです(語彙力)
とにかく、スケートが全く分からない私でも「この人、すごい」と思ったくらい、羽生くんはすごい人です!(だから語彙力)
4Lz!!! Yuzuru HANYU 羽生結弦 FS - 2017 Rostelecom Cup
そんな感じに、最近はどっぷり羽生くんに浸かる生活をしているのですが、ゾンアマ先輩を漁ってると「羽生結弦語録」なる本が売られていたので、買ってみました。
人の名言とか語録大好き人間なんで。笑
2015年に出版された本みたいなので、羽生くんがまだ19、20歳あたりの時の言葉たちなのですが…若い子が言う言葉とは思えないくらいめちゃくちゃしっかりしてる(°_°)
ちゃんと自分と向き合ってて、ピンチもチャンスに捉え、何事も楽しみ、何より向上心がめちゃくちゃすごい。
羽生くんの負けず嫌いなところとか、とにかくストイックに、自分を成長させようと努力する姿が、回天隊の仁科関夫少佐にめっちゃ似てるな、と思いました。
回天隊の三枝直少尉は、こういう言葉を遺されています。
「われわれはまだまだ修養の途なり、死の一瞬まで己の足らざるを悔い、修養研鑽にこれ努め、不足不足と思いて死する人こそら後より見て完成に近き人と言うべけれ。仁科中尉の偉大さはなくなられてから、ますます吾々にわかってきたではないか。」
(三好朗氏「その若き命惜しまず」より引用)
三枝さんもこの時18歳だから、この言葉を遺せるなんて本当にすごい…。
羽生くん、今見ても既に完璧な人ですが(本人は全然そう思ってないみたいですが)、まさにこのタイプの人間なんだな、と語録を読んで思いました。
たぶん、これから先の人生ずっと、自分を越えるために、スケート上手くなるために努力し続けるんだろうなって。
現に、いろんな大会で優勝して、オリンピックで金メダル獲っても、もっと成長出来るはずだと、今日も練習に励んでるんですもの。
あそこまでストイックに、自分を奮い立たせて、上へ上へと目指していくなんて、並大抵の覚悟と努力ではできないと思います。
いつの時代も、すごい人はいるものなんだと感動しました。
私も、死ぬまで変化し続けたいし、そういう努力をしていこう、と勇気とやる気をもらいました!
人生は、終わる1秒前まで自らを磨く修行なり。
とりあえず、今後もスケート分からないなりに羽生くんの応援していきます(*´∀`*)笑
無智の行ひがなくなってこそ真の児童であり国民である
「六年前の僕は、無智で物の道理も知らず、従って、物の良悪の差別さえつかずして、知らず知らずの中に悪戯が多かった。おだてられて馬鹿げた事をしたり、馬鹿な事を褒められて自慢したり、力自慢をして弱いものをいぢめ遂には泣かせたりしたことは皆無智のなした行ひである。
此の無智の勢力は即ち馬鹿勢力である。今の僕には知識もつき物の道理もわかってきた。他人の無智の行ひを哀に思ふのも物の道理がわかってゐるからである。
併し世の中には六年間の教育を受けても、尚無智の行ひをする者がある。僕にも無智が宿ってゐて、時々これが出て来る。無智の行ひがなくなってこそ真の児童であり国民である。それであるから僕はまだ真の人として真の人には対面出来ぬのである」
(吉岡勲氏「あゝ黒木博司少佐」より)
これは、黒木博司少佐が小学校の思い出を綴った、「回顧号」に載っている文章の一部だそうです。
この文章を読んで、正直ギクッとしました。
無智の意味を改めて考えさせられ、「学校を出たから」「勉強をしたから」無智ではなくなる、ということではないんだ、と気づかされました。
おだてられて調子に乗ったり、ついつい自分の自慢(いい意味でも悪い意味でも)をしたくなったり…
特に後者は、無意識にやっていることが多いかもしれません。
主張だと思って言っていたことが、結果的に自慢になっていたり…
突然無智を完全に無くすのは難しいことなので、まずは自分の中に「無智」がいることを認め、意識していきたいです。
また、吉岡さんが書籍の中で仰っていた、この文章から伺える黒木さん「反省と向上」の姿勢も、見習っていきたいです。
海底で踏み出した大きな一歩
5月に関連記事↓を書きましたが…
伊58・呂50を特定するプロジェクトの調査チームが、五島列島の海の底に眠る、伊58・呂50含め8隻の潜水艦を特定しました。
資金も無事に集まり、8月末に海底調査をしていましたが、本日その正式発表の会見が行われました。
調査チームの皆様、本当にお疲れさまでした。
結果的に伊58・呂50だけでなく、回天戦で戦い抜いた伊36、伊53も見つかり。しかも垂直に刺さっている潜水艦は仁科さんや柿崎さんが乗っていた伊47であったことも分かり、本当に、本当ーーーに嬉しいです。
今回の調査でいろいろな意見がありますが、技術面とかはチンプンカンプンなもので、私という立場からの話をさせていただきますが…
私から見る旧日本海軍の潜水艦は、かつての「彼ら」が戦ってくれた証、でもあります。
今回のように特定されることによって再び潜水艦、そして当時の出来事が注目され、今の自分はどんな「上」に立っているのか、改めて考える機会になるのではないかと思います。
会見映像も見れるニュース記事を貼っておきます。↓
伊366、伊367についてはもう少し調べたい、と仰っていたので、引き続き発表があることを期待しています。
そして、本日は奇しくも黒木博司、樋口孝両少佐のご命日です。
「犠牲ヲ踏ミ越エテ突進セヨ」
「国を思ひ 死ぬに死なれぬ益良雄が 友々よびつ死してゆくらん」
二人の叫びはその後の回天隊を大きく動かしました。
また、時空を越えて、今日の日本を生きる私たちにも聞こえてきます。
日を追うごとに不安が増えていく現代。
彼らに「安心して眠って下さい」といえる日が来るように頑張らねばならないのは、まさに私たちだな、と思いました。
最高の犠牲を払った人を忘れるような民族はありません
「この肉体は、戦争に行かなくとも五十年か六十年でなくなります。
そのとき、なにが残りますか。
私は、死んでも必ず残るものが欲しいのです。
金銭とか財宝、名誉や階級などは、一生懸命に血眼になって求めても、死の瞬間にその人から離れてなくなるものでしょう。
私はもっともっと尊いものを、永遠に人の心に刻まれて感謝される、消滅しない語り草を残したいのです。(中略)
日本民族という大支柱を倒してはならないから、喜んでその犠牲となります。
民族のため、国のため、最高の犠牲を払った人を忘れるような民族はありません。」
(上原光晴氏「「回天」に賭けた青春」より)
金剛隊の三枝直少尉が、予科練に志願することをご両親に納得してもらうため、話したとされる内容の一部です。
今日は終戦記念日である8月15日。
私は回天隊を知ってから、毎年、黙祷するとともに三枝さんのこの言葉を胸に刻み直します。
これからも、彼らのことを忘れないでいこう。そして、感謝していこう。
自分の心に刻んで、みんなの心にも刻んで、後世に語り継いでいこう。
今年も、その気持ちを持って。
柿崎実少佐のお誕生日なので靖国神社に行ってきた
8月3日は天武隊の柿崎実少佐のお誕生日です。
誕生日参りの記事書きすぎな感じですが、今日も行ってきたので書きます。
7月はムンムンに暑くて、8月どうなっちまうんだ…って感じでしたが、今日は生憎の曇天ながらも過ごしやすい気温でした。
靖国は特に涼しかった…!!
私、靖国の拝殿に吹く風が好きなのですが、今日は特に気持ちよかったです。
蝉の大合唱を聞きながら、柿崎さんにおめでとうとありがとうを伝え、靖国の皆様に自分が今年も無事に誕生日を迎えられたことを感謝してきました。
今日の靖国!
平日の午後ということもあり、御朱印もすんなり頂けました。
今日の御朱印は細いながらも力強い文字で、「柿崎さんだ…!!」ってなりました(通常運転)
そして、私が携帯にぶら下げてる菊水ストラップがそろそろ限界を迎えそう(ちぎれそう)なので、新たに購入。
よろしくな、2代目菊水ブラザーズ…
なんでもないオッケーーーーーーー!!!!(サンシャイン池崎)
そして、昨日自分も誕生日だったので、ケーキ買って合同で祝おう!と靖国の近くにあるケーキ屋さん、ゴンドラへ。
結構前、知り合いにゴンドラのケーキを食べさせてもらったことがあったのですが、美味しすぎてもう一度食べたかったのです…!!
悩んだけど前回も食べたチョコケーキを購入。
家に帰って幸せタイムを過ごしました💗
柿崎さん、お誕生日おめでとうございます。
柿崎さんの考え方がすごく好きでとっても尊敬しているのですが、今年からは柿崎さんを尊敬しているということを行動で表していけるように頑張ります…!!
柿崎さんのようにはなれないけれど、柿崎さんのようになる努力はしていきたいです。
パンツの日なのでちょっと振り返ってみた
本日は8月2日、パンツの日ですね。
私は今からン年前のパンツの日に、オギャーと産声をあげたわけであります。
そう!今日はお誕生日!いえーーい!
ここ数年からは誕生日を迎えるたびに「ああ、もうこんな歳なのか…」とちょっぴりショックを受けたりしていますが(母親に言うと「あんたで年寄りならあたしゃどうなんのよ!」と怒られるけど←)、しかしこの歳まで毎日穏やかに暮らせることはとても幸せなことなのだと、歳を重ねるごとに感じています。
せっかくの自分の節目である日なので、気持ちの整理として、自分のために回天隊とのことを振り返ってみようと思います。自分語りな記事ですが悪しからず…
私が回天搭乗員の方々に興味を持ち、本を読み始めてから2年が過ぎました。
それまでは何も考えずに鼻水びろびろにたらしながらなんとなく生きてた私ですが、彼らに出会ってからは物事の考え方というか捉え方というか、そういった部分が明らかに変わったな、と実感してます。
なんだろう、簡単にいうと、めそめそせずに明るく前向きになった気がします!
まだほんのちょっとだけだけど、昔よりは心が強くなったかなあって。
興味を持ったきっかけは、回天という兵器があるということをネットで知った際、映像でぱっとすぐ分かるものはないかなと思い(横着なもので…^^;)ツタヤで探し、見つけた映画「出口のない海」でした。
映画の中で一番印象的だったのは、自分の棺桶ともいえる特攻兵器が敵の攻撃でボコボコにされて、乗れなくなってしまって涙を流して悲しむ(その時は、悔しいとは分からず悲しいという風に捉えてました)回天搭乗員の姿でした。
その泣いている姿は、まるで親兄弟を亡くしたかのような号泣っぷりで、とても驚いた記憶があります。
それまで戦争に関しては学校の授業程度の知識しかなく、「特攻隊は嫌がってもみんな強制的にいかされる」というのが当たり前に頭の中にあった私にとっては、その涙が不思議で仕方がありませんでした。
「本当の回天搭乗員の人たちはどんな気持ちで回天と向き合っていたのだろう」
そう気になったのが本当の始まりでした。
映画を見終わった後、すぐにノンフィクションの本を探しました。横田寛さんの「あゝ回天特攻隊」と出会い、その本で初めて「一回天搭乗員の気持ち」というものを知ったとともに、本に出てくる登場人物たちの豊かな個性に心奪われました。
彼らの遺書遺文が載っている回天刊行会の本を読んでからは、彼らの遺していった言葉一つ一つがとても心に響き、「この人は他にどんな言葉を遺していったのだろう」「この人はどんな生き方をしたのだろう」「この人は周りとどんな関わりを持っていたのだろう」そういったことも気になりだして、のめり込むように回天に関する本を読み漁りました。
彼らのことを本で読んで感じる印象は、ズバリ「愛」です。彼らは愛の人です。
そして彼ら一人一人、特攻隊ということ関係なしに、純粋に人として、「とても立派な人だなあ」と感じました。
彼らが家族や友人に遺した言葉や日記に書いた言葉、そして生き残った周りの方々の証言によって伝えられている言動から、学ぶことがたっっっっくさんありました。
自分たちの今があるのは当たり前ではないということ。
家族を大切に思う心、そしてその気持ちを行動で表す大切さ。
「信じる心」の大切さ。
人の気持ちや考え方は、決して一つには括れないこと。
だからこそ人の気持ちを勝手に、軽率に決めつけてはいけないということ。
そして人の気持ちは決してたった一つではないということ。
「幸福」というものの本当の意味。
などなど。
そして不安な時やつらい時、逃げ出したい時など、いろんな場面で彼らの言葉を思い出して、奮い立たせてもらったり励ましてもらってます。
まだ2年ほどしか経っていないので、これから更に色々な本や資料を読み、考えを深めて、学んでいきたいです。