回天隊員と神様
回天隊の方々の遺書や手紙、日記などを拝見していると、「神」という言葉がよくでてくるな、という印象を受けます。
宗教、というよりも、そもそもの「神様」という大きな存在との距離が近いというか、当たり前のように神様のこと考えてるというか。
でもこれ、すっごく大事なことのような気がするんです。
今の私たちに足りないもの?忘れてるもの?的な。
とりあえず見つけた言葉だけでもメモ。
柿崎実少佐
「あくまで神を信じ、人を信じ、自分を信じて、苦境の中に突入してこそ、真の幸福を得る事が出来るのだ。」
(回天刊行会「回天」p.222)
前田肇少佐
「「死スハ易シ、目的達成ハ難シ」。サレド最后マデ頑張レ。必ズヤ神助アリ。」
(回天刊行会「回天」p.223)
阪本宣道一飛曹
「今日よりは神に誓ふてあだ討たん くやしみ死にしますらをのため」
(回天刊行会「回天」p.212)
水井淑夫大尉
「甘さがあるが故に人間は悩み、人間らしさを保ち、生活の潤いが出来るのだ。甘さを全肯定するわけではない。ふるいにふるって最後に残った甘さ、それは人間の裁くものではなくて、神のみが裁くのだ。しかして神は裁くを欲しないであろう。」
(回天刊行会「回天」p.251)
成瀬謙治少佐
「清冽の士唯純情無垢、敵轟沈を、小さき胸に思ひつめたる熱情、神は照覧し給ふなり。」
(回天刊行会「回天」p.268)
黒木博司少佐
「天照大神様より始まった日本、否、もっと神代の天之御中主様より分化発展したる根本一体の血族的日本、父子の道義に成立する日本。」
(吉岡勲氏著「あゝ黒木博司少佐」p.171)
塚本太郎大尉
「神ヲ敬イツツ運命ヲ蹴飛バセ。愛スル人々ノ上ニ平和ノ幸ヲ輝カシムル為ニモ」
(上原光晴氏著「「回天」に賭けた青春」p.263)
本井文哉大尉
「僕が海軍機関学校入校の時はまさに大東亜戦争勃発の年であり、卒業の際は決戦の秋であります。ちょうど神様が僕をこの戦争に間に合うようにこの世に生み出して下されました。」
(三好朗氏著「その若き命惜しまず」p.100)
原敦郎少佐
「ちはやぶる神の御前に額づきて すめら御国の弥栄祈らん」
(三好朗氏著「その若き命惜しまず」p.110)
和田稔中尉
「彼は私に、神様を教えたが、しかもその神様に固有名詞をつけなかった。それは私の気に入った。しかもまた、彼は神の唯一性を説いた。それも全く同感であった。というよりも私の今まで考えていた神の存在観念と全く一致していた。」
(和田稔中尉の日記「わだつみのこえ消えることなく」p.84)
実行の人
どんなに強いものを内に秘めていても、実際に行動し実行しなければ、その内に秘めたものは結果として存在しないものとなる。
仁科関夫さんのこの↓言葉を読み、そんなことを思いました。
「奮起せよ。覚醒せよ。
眠れる獅子も猛けることを知らずして何の獣王ぞ。
満弦の矢も放たるることなくして何の必中ぞ、何の威力ぞ」
(三好朗氏著「その若き命惜しまず」p.32より抜粋)
そしてそれはまさに黒木博司さんが体現しているな、と思いました。
「彼(黒木さん)は実行の人であった。これも彼が享けついだ性格の美点であり、これこそ彼を彼たらしめた最大の要素である。実行なくしては彼の情熱も思想も何等実を結ぶことなく消滅したであらう。」
(吉岡勲氏著「あゝ黒木博司少佐」p.17-18(成松孝男氏手記)より抜粋)
歴史にifはないですが、もし黒木さんがゴリゴリにネガティブで、彼の熱意を行動に移していなかったら…
なんかもう想像しただけで、それは黒木さんじゃなく別人のように感じます(笑)
黒木さんは実行の人、本当にその通りです。
止むにやまれぬあの気持ち、あれこそが熱意であり、それが溢れて実行となる。
熱意と実行はイコールの関係だと思います。
私も回天のことを知ったばかりの時は他人も引くレベルの勢いで書籍を漁り旅に出まくりました…熱意がないとできなかった事だと思います。
熱中しすぎたあまり母親に「どうにかなったんか、怖いわ」って言われました(笑)
今は年数経ってだいぶ落ち着いちゃいましたが…(*_*)笑
考えているだけじゃ何もうまれない、って当たり前のことだけど、熱意がないとなかなか行動できない。
これからも自分の熱意を信じて、その熱意を実行にうつしていきたいなあ、って思いました。
…小学生の作文感(笑)
今年3回目の山口旅行
1月の山口旅行はブログに書きましたが、実は3月にも行っており、そして今月も行ってきました。笑
彼氏がここ最近仕事で山口にいるので、その関係でめちゃくちゃ遊びに行かせてもらってるわけですが…(ありがたや)
今回は1月ぶりに大津島へ行ってきました(*´-`* )
島には紫陽花が咲いてました。
梅雨だなあって思ったけど、この日はしっかり晴れてくれて行動しやすかったです。
着いた時に、空に小さい龍雲がいくつかあったのですが、記念館まで登ってくるととってもながーーーい龍雲が!
最近龍神がマイブームなので、龍神様きた!!ってすっごく嬉しくなってパシャりました。笑
記念館では新しく設置された塚本さんのレコードを聞きました。
今まで塚本さんのレコードは、靖國神社の遊就館と大和ミュージアムで聞くことができたのですが、とうとう大津島でも聞けるように。
記念館では、遊就館のようにヘッドフォンで聞くタイプではなく、大和ミュージアムのようにスピーカーから音が出るタイプなのですが、大和ミュージアムのように(広いゆえに)音が響くような状況ではないので、とても聞きやすいです。
塚本さんは、金剛隊として大津島より出撃されました。
彼が実際に地を踏みしめ、汗水垂らして訓練し、そして最期に目に焼き付けたであろう大津島で、彼の肉声を聞くというのは、大変意義深い事だと思います。
この日の島には、とにかく黒アゲハが沢山いました。
写真撮りたくて追っかけてもなかなか止まってくれなくて大変でしたが、記念館の近くの花にとまる様子をやっと撮ることができました。笑
穏やかな波と綺麗な空。
いつもここから写真を撮るのが好きです。
さて、この時期の大津島の問題といえば…フナムシです。
初めて大津島を訪れた時も丁度このくらいの季節だったので、フナムシが大量で、怖すぎてトンネル内を疾走しました。
危害を加えてこないものとは分かっていても、亡くなられた方の魂が宿る的な迷信を信じてはいても、やっぱり怖いもんは怖い。←
一度トンネルに入ろうとするも入り口にいらっしゃる大量のフナムシ先輩に圧倒され断念。笑
しかし帰りのフェリーまでだいぶ時間がある上に、やる事がほかに何もなさすぎたので、意を決してトンネル内へ!
入り口と出口付近には大量でしたが、トンネル内にはいないようで少しだけホッとしました…←
せっかくたどり着いたので、大津島とのツーショットを撮ってもらいました。笑
わーい!!なんかのアイコンにする!!←
魚雷発射場とも一緒に撮りました。
この日は釣りの人がいなかったので写真撮りまくれました!!
大津島はこんな感じで満喫して、徳山に戻り、ずっと行きたかった駅にくっついてる図書館…のスタバへ!笑
座席が無限にあってまじ神スタバだなって思いました。
図書館は通っただけでじっくり見てはいませんが、さすがに回天関連の資料とかはなさそうな感じ…(´∀`; )デスヨネー
夜は周南の山を登って、長穂のほたる祭りへ…
景色美しすぎ。やばい。
間近で田んぼ見て圧倒的テンアゲ。
長穂でもこんな感じにどどーんと昇り竜(の雲)が((((;゚Д゚)))))))
感動してパノラマで撮りました。笑
ほたる祭りでは屋台が沢山出てました。
これは鮎の塩焼き!
他にもいか焼きとか焼きそばとか食べたし、あとほくほくの新じゃがを無料で配ってたのですがそれが美味しすぎてびっくりでした。
肝心のほたるですが、私の撮影力では限界があるので、写真はありません。笑
でも、くす玉ぱっかーんしてほたるがバーーッて一斉に飛び立っていって本当に綺麗でした! (語彙力)
ほたるが飛んでいったあとは花火まであがって豪華でした(*´-`* )
今年初お祭りに初花火!周南で体験できて嬉しさがやばいです❤️
空自の基地が近いらしく、航空安全のお守りが売ってました。
そしてここにも龍🐉💓
お昼ご飯は唐戸市場でお寿司。
お昼時外して行ったので安くなってました〜!
沢山食べた!!
その後は近くの水族館へ。
お寿司食べた後に水族館ってアレですが…笑
内容盛りだくさんでイルカ&アシカショーやっててペンギンが大量にいて大満足でした。
私大人だけど、控えめに言って超絶楽しかった(真剣)
至近距離でペンギンに会えます。(ガラス越し)
喧嘩を売られました。
あとフグの展示が異様に多くて、山口来たんだなあって実感しました←
そんな感じで山口旅行は終了。
振り返ってみると2日間全力で楽しんだ感がすごいです笑
そして回天に興味を持ってから、何だかんだちょくちょく大津島に行けてて幸せです(*´-`* )
次はいつ行けるかなー。
私的おすすめ回天作品(映画・ドラマ)
やばい、1つも記事を書かないまま5月を終えるところだった…
というわけで。笑
突然ですが、この記事では私的おすすめ回天作品を、勝手にゆるーく紹介していきたいと思います!
見たのがだいぶ前のものもあって記憶があいまいな部分もあるかもしれないですが(←)、そのくらいゆるーく書いてるので悪しからず。笑
回天を知ってから、回天がテーマだったり出てくる映画やドラマは、
・あゝ回天特別攻撃隊
・人間魚雷出撃す
・魚住少尉命中
・あゝ江田島
・真夏のオリオン
あたりを見てきました。
あ、注意書きとして、伊57は、初っ端で回天が出撃してからはひたすら潜水艦のお話になってます。
でも、第二種軍装の池部良がスーパーかっこいいんですヨ(*´-`* )あとラストが衝撃的すぎました。ザ・昔の映画って感じだった…
あゝ江田島に関しても、回天自体は少しだけの登場ですが、登場は作品後半、そう来たかという出方。
何より村瀬と石川の四号頑張ってる感が可愛いし、もう、最後は、アアーー!!村瀬エエーー!!小暮生徒オオーー!!い、石川ぁぁっ(′;ω;`)ってなります(ネタバレに気をつけた結果)
さて、↑2作品も個人的に大好きな作品ですが、回天(がメイン)作品としてのおすすめ上げていきます。
おすすめ①『あゝ回天特別攻撃隊』
回天を題材にした作品ではとっても珍しい、発案者2人をメインにした作品です。
しかも結構、最初の方とか特にドキュメンタリーっぽく作られてるので、一緒に見てた家族に「え、なにこれ本物(の映像)?」とか言われましたが…
安心してください、めちゃくちゃ松方弘樹出てます←
黒木さんがモデルの人の役は鶴田浩二、仁科さんがモデルの人の役は松方弘樹なんです。しかもメッチャ若イ!そして松方弘樹メッチャメイク濃イ!←
他にも若かりし梅宮辰夫とか、千葉真一とか、里見浩太郎とか、私の大好きな池部良とか、結構俳優陣が豪華で!!
もうこれはファミリーで見てほしい映画ですね。
内容としては、さっきも述べたように半分ドキュメンタリーチックなので、物語も淡々と進んでいきます。しかも実際の人物をモデルにしているだけあって、事実に忠実な感じも他の作品と比べてだいぶあります。(※もちろん映画なので全てが忠実なわけではありません)
映画としてみると堅い感じもあるかもですが、俳優的にも忠実度的にもおすすめです。
おすすめ②『魚住少尉命中』
これは前に記事を書きましたが、本当にすごい作品でした。
これに関しては下の記事読んでください。←
なかなか手にする機会がないかもしれませんが、もし出会えた時は是非見てください!
おすすめ③『僕たちの戦争』
現代の若者と、予科練の男の子が入れ替わっちゃうお話なのですが、回天を知らない人でも知っている人でも見やすい作品だなと思いました。
時代が違うだけで昔も今も人は同じだということ、愛する人を守りたい気持ち、現代の私達が何か忘れている気持ち、そんなものが見ていて伝わってきました。
森山未來君の演技も素晴らしくて、特にラストはめちゃくちゃ引き込まれました。
若者特有の我武者羅な疾走感というか、そういうものが他に比べて一番表現されてる気がします。
「一若者の心情」を覗くような気持ちで、一度は見て頂きたい作品です。
特別枠『出口のない海』
結構賛否両論ある映画ですが、個人的に、この映画を見て回天に興味を持ったので…
パンツの日なのでちょっと振り返ってみた - 紫紺の空の一つ星
↑の記事(クソみたいなタイトルでごめんなさい)でもその事について触れてますが、私がこの映画の中で特に注目したのが、伊崎充則さんの演技です。
あの回天に対する「心からの笑顔」と「心からの涙」にどれほどの衝撃を受けたか…
一度本を読んだから映画はいいやーという人も、ぜひ伊崎さんの演技を映画で確認してください。
全然プレゼンできてなくておすすめ度伝わったかなー?って感じですが、、、笑
みなさんが見たくなったかどうかは別として、ご紹介できてとても満足致しました。笑
6月は更新頻度あげたいです(希望)
今年も特攻隊全戦没者慰霊祭に参列してきた
昨年に引き続き今年も参列することができました。
今年は桜の開花が早かったので、靖国の桜は散り始めていました。
それでも、すっごくきれいだった(*'ω'*)
今年も美しく咲いてくださってありがとうございます。
ちょっとした露店?や落語のイベントなどやっていて、人もたくさんいました!
2度目のぼっち慰霊祭、少しは慣れたようで緊張することはなかったです…笑
去年は拝殿で凍えるほど寒い思いをしましたが、今年はそこまで寒くなかった(しかし風はふいてくるので少し震えてました笑)ので式に集中できました。
今年の献吟の一つははなんと、河合不死男大尉の歌でした。
「散る花の二度とは咲かじ若櫻 散りてめずらん九重の庭」
吟じられると、文字として目で感じ取っていた時とはまた違う気持ちになりました。
理事長の方の祭文を聞いていていろいろと考えたのですが、
やはり今の日本や世界の状況を見たり、自分の日本人としての在り方?みたいなのを考えると
私の口から軽々しく、英霊の方々に「安らかにお眠りください」なんて言えないなあって。
「眠れるかい!」ってツッコまれそうで…
安心して眠ってもらうには、何も大きなことをせずとも、祖国である日本を愛し、誇りに思うことなんじゃないかと思いました。
自分を愛せなければ他人を愛せないように、自分の国を愛せなければ他の国を愛し、仲良くしていくこと、できなくないかなって。
小さくとも、誰もが夢見る世界平和への一歩だと思います。
あと、自分の国を愛することと、「ほかの国より優れている」と思うことは一緒にされやすいですが、全く違いますよね。
正しい意味で国を愛するって大切だと思います。
そして、国を愛する事以上に大切なのが、家族や友人を愛し、大切に思う気持ちです。ここが愛の根本であり、ここができていないと、国を愛することはできないと思っています。
何か偉そうなことを書いてしまったように見えますが、今自分が書いたことは、私はまだひとつもできていないので、これを自分への戒めとし、頑張ろうと思っているところです。←
「なにが起きても私たちが何とかするので大丈夫です!日本は不滅です!」
って胸を張って言えるようになりたい(願望)
回天に関する記述を探していてたまたま読んだ「呉海軍工廠見習工の記録」という本にて、瀧谷吉さんという方が書かれた文章が、心に残ったので引用します。
「起死回天の悲願も空しく、非命にたおれた回天搭乗員の鎮魂のために忘れてはならないのは、国家と民族は、いつの時代でも危急存亡の際には自己犠牲を強いるのであり、それが民族の再生と復興の礎となっていることである。」
(「呉海軍工廠見習工の記録」p.419)
自己犠牲もまた、愛から繋がる一つの行動であると思っています。
「18歳の回天特攻隊員の遺書」の謎
先に結論をお話ししますが、謎のままです。(まさかの)
逆に、謎を深めた感がすごいです。←
これから、私が個人的にずっと気になっていたことをちょっと調べてみたので、調べたところまで書いていきたいと思います。
そのテーマは、皆さんも一度は目にしたことがあるであろう、「18歳の回天特攻隊員の遺書」。
YouTubeに動画があったり、FacebookやTwitterで記事が流れてきたり、有名人がブログで紹介していたり、回天隊員の遺書としてとても有名なものだと思われます。
「お母さん」と話しかけるような遺書に、胸を締め付けられます。家族への愛に溢れた言葉ばかりです。
そしてこの方の「お母さん」が遺書を読んだときの気持ちは想像しただけでも苦しくてつらいし、実際想像できないものだと強く思います。
この遺書を知った私は、とても気になるのです。誰が書かれた遺書なのだろう、と…。
現物はないので(後述する本「戦歿学徒の心」に、お母様に渡したという記述有り)筆跡は見ることができませんが、戦没回天搭乗員の氏名は全て公表されてますし、「18歳」なら人数が絞られてきます。
さらに「あと3時間で…」との言葉は、発進時刻がわかっていたことになるので、泊地攻撃の時期の遺書なのでは…?などと色々一人で悶々と考え込んでいました。
(気持ちだけ)ハッカーの如くネットで検索かけても、誰のだったかなんて全然出てこないし…( ;∀;)
そんなある日、たまたまYouTubeを見あさっていたら、↓の動画を発見。
※2020年9月1日追記:現在動画は投稿主により非公開となっています
『天翔ける青春』というDVDに収録されている映像だそうです。
どうやらこの遺書のお話は、江田島の教育参考館の館長さんである、岡村清三さんが体験されたお話だったようです。
動画のお話をまとめると、
・回天搭載の潜水艦に乗っていた(配置はなかった)
・潜水艦は回天を4基搭載
・巡洋艦を発見して回天発進
・搭乗員のお母さんは京都駅裏にいる(今は新幹線が通ってる)
・搭乗員には弟妹達がいる
・2号艇は熱を出してる(岡村さんが代わりに出る?)
・隊員の名前は偽名を使っている?(出撃した方に「岩本」「中村」がいる隊はない)
・回天の話で18歳という言葉は出てこない
・後半の南方での話の部下が18歳
ここで謎が一つ解決。
「この遺書を書かれた方は18歳とは限らない」ということ。
きっとこの動画の後半のお話も混ざってしまい、このタイトルで広まったんじゃないかな、と考えてます。
何か手掛かりが欲しくて岡村さんに関する本がないか探した結果、「戦歿学徒の心」という本を見つけました。
神宮皇学館大学での講演が本になったものらしいのですが、この本に、岡村さんの経歴や遺書の話などが載っていました。
ちなみに、本はこちらから購入できます。(岡村さんの考える当時の状況や、松田さんの遺書、三島由紀夫との対面の話などが載っていて、大変興味深い本です)
この本によると、岡村さんが潜水艦に乗ったのは、南方の島で病気をして日本へ帰るときのことだそう。ちなみに潜水艦の情報は、映像と同じく2600トン級というもの。
わたくし、恥ずかしながら潜水艦に関しては全く知識がなく…ウィキで調べると排水量って基準と常備と水中に分かれてて、どれを代表的に言うのかわかりません…タスケテー
消去法で時期と人数・状況があいそうな潜水艦を探してみましたが、私の調査力ではどれも当てはまらず…
また、回天作戦の潜水艦が、どこかの島に寄って病人を内地へ運ぶということをしていたことはあったのか、こちらも私の調査不足のためわかりません(TT)
そして、回天を4基搭載している潜水艦は、4期予備学生である岡村さんとは時期的に被ることが難しいことも、特定できない一因です。
もしかしたら、既に誰かが発進した後に乗られたのかも…?
遺書に関して本で新たに書かれていたことは、発進した搭乗員の学校と下のお名前と日付。
実在するお名前だったので調べてみましたが、時期などが合わないので、こちらも架空で書かれているのではないかと思います。
一方、御田重宝さんの本「特攻」に岡村さんの話が載っていたのですが、岡村さんは回天搭乗員募集で「熱望」と書いたにも拘わらずはねられた、との文章が載っていました。
海軍軍人に興味を持ったら泣きながらでも必ず見る羽目になる資料・辞令公報(前置きの長さ)で少尉任官時の配属先を確認したら、回天搭乗員は「一特基」となっているのに対し、岡村さんは「八雲」でした。
12月以降の岡村さんの動きは調べてないので、その後回天搭乗員になったのかどうかは不明です。
私が現時点で調べたのはここまでです。
調べたとは言えないぐらい「わからない」を書きましたが、どう言えばいいのかわからないので調べた、と言っておきます…←
岡村さんは講演をされていた時点で74歳。
とても昔の話ですから事細かに覚えているのは人間として無理がありますし、様々なことに配慮して架空の設定を織り交ぜたりしている部分もあると思います。
あんなにお母さん思いの遺書を書いたのはどなただったのか、ということを知るには、岡村さんが乗っていた潜水艦がわかれば一番いいのですが、それは未だわからず…。
私はただのパンピなので一般公開されている本や資料しか読めませんが、地道にこの謎を解いていけたらいいなと思います。
ひとまずこの記事をまとめると、
・遺書を書いたのは18歳とは限らない
・上記のことによって、特定がより難しくなった
ということです←
もし何か知っている方がいらっしゃいましたら、また、記事のここ間違ってるよというところがあれば、教えて下さると嬉しいです!
-----2019年6月28日追記-----
記事の続編はこちらです。一応、個人的見解として結論付けました。
冬来りなば春遠からじ
羽生結弦選手が平昌オリンピックで金メダルを獲得し、フィギュア男子シングルでの66年ぶりの連覇を達成。
昨年11月に怪我をして以来一切情報がなく、本当に大丈夫なのかという声もありましたが、そこは羽生選手。やってくれました。
普段私たちが使う「有言実行」という言葉よりも比べ物にならないほど重い「有言実行」を果たしたと思います。
そして国民栄誉賞も授与される方向に話が進んでいて、本当にめでたい!
こんな素晴らしい人と同じ日本人として生まれてよかった、とただただ思ってます。
彼の精神というか、考え方というか、そういうものには本当に驚かされます。彼の人生に起こる出来事も、彼自身の考え方も、人間離れしているというか、聖人と言うべきか現人神と言うべきか、、、笑
SEIMEIの演技を見て「この人滑ってない!空飛んでる!」(※滑ってます)と思ったのがきっかけで好きになった私ですが、彼の話を聞けば聞くほど、また行動を見れば見るほど、彼に対しての尊敬が止まりません。
特に私が注目したのは羽生選手の「感謝」という言葉。
オリンピック演技後のインタビューでもたくさん使っていました。
またリンクにも感謝し、怪我をした右足にも感謝していました。
人間が生きていく上で一番大切な気持ちは、感謝だと思います。また、人間が生きている中で忘れがちなものも、感謝だと思います。
今回オリンピックを見ていて、羽生選手は溢れるように感謝をしている印象でした。
彼を見習って感謝の心を大切にして生きていきたいです。
そして、表彰式後のインタビューで、「回天隊の方の言葉に通じるものがあるな」と思う言葉がありました。
「 金メダルのために身近のありとあらゆる幸せを捨てた」という羽生選手。
私は彼の言う「幸せ」とは、欲に近いものなのではないかな、と思いました。「アレしたい」とか「あっちの道に行きたい」とか、そういうものがたくさんあったのだと思います。
そこで思い出したのは柿崎実少佐の言葉でした。
「欲とは人間の本能だ。本能とは人間に与えられた試練だ。この試練に打ち勝ってこそ、自然の心、不動心、即ち純真さが得られるのだ」
(「回天」/回天刊行会)
彼は、この試練に打ち勝ったのだと思います。だからこそあの演技ができたのでしょう。
また、前回のソチオリンピックでは、金メダルを獲ったのに、自分の満足いく演技ではなかった事で「悔しい」と言っていた羽生選手。
今回は終わった後、「幸せ」という言葉もたくさん言っていました。
ここでも思い出されるのは柿崎少佐の言葉です。
「如何なる苦境にあっても之に満足し之を開拓し之を進めるべく努力すること、之が幸福なのだ。」
(「回天」/回天刊行会)
平昌オリンピックまでの期間、66年ぶりの連覇という世界からの重いプレッシャーだけではなく、大きな怪我をした羽生選手にはまさに「苦境」だったでしょう。
彼の成し得たことは、この柿崎少佐の言葉の実証だと感じました。
最後に、「しんどいからこそ最終的に幸せが来る」と言った羽生選手。
上別府宜紀中佐の言葉と同じだ、と驚きました。
「“冬来りなば春遠からじ”、厳寒の冬を過ごして桜花爛漫の春が来ると同様、あらゆる苦境を忍び、一途に光明の彼岸に邁進するところに我々日本人の生き甲斐があり、生命があるのだと思います」
(「回天」/回天刊行会)
以前のインタビューで「日本人としてのプライドがものすごくある」と話していた羽生選手ですが、70年以上の時を経てもなお、「日本人の芯」というものは繋がっているのだと強く感じました。
23歳の彼の背中に背負わされたものは、とてつもなく重かったことと思います。
普通の人であれば、その重さに耐えきれず潰れてしまったことでしょう。
しかし彼はそれを自らの力に変えました。そして結果を出し、人々に感動を与えました。
まさに厳しい冬を過ごして、春を迎えた人です。
「フィギュアスケーター」として生きている彼ですが、彼が私たちに教えてくれているものはフィギュアの素晴らしさだけではないと感じています。
私は、人生の生き方、そして一生懸命の意味を彼から教わった気がします。