紫紺の空の一つ星

趣味まるだしのブログ。回天特攻隊が中心。ご来訪頂き感謝致します。

回天特攻隊員に教えてもらった「勉強」に対する考え方

 

私は、小さいころから勉強が大嫌いでした。

今考えればそれは、「テストで高得点を採っていい成績をもらうことへ向けた準備」を勉強だと思っていたからかもしれません。

自分のためになるという話を聞いても漠然としすぎていて、何がどう将来の日常生活に役立っていくのかがわからず、自分の成長と繋がるなんて考えもしなかったのです。

当時はただひたすら、勉強を「学校から、世間から押し付けられているもの」だと思い込み、嫌悪感を抱いていました。受け身な考え方ですよね。笑

要領というか、短期の記憶力だけはよかったので、テストのために一夜で勉強した後にテストを受けたらすぐ忘れて次の科目を勉強していました。友人にテスト終了後「あそこの問題なんて書いた?」と聞かれても「覚えとらん」と返して驚かれたものです。

恥を忍んで書きますが、おかげで今、学校の勉強は何一つ身についておりません。笑

国語力は御覧の通りの残念感ですが、数学どころか算数もだいぶ怪しいです(やばさ)

私が長い学生時代で行っていたのは、自分のための勉強ではなく成績のための勉強だったからです。

回天隊の彼らが弟さんや妹さんへ宛てた手紙に、どういう勉強をすればいいのか、勉強とは何か、を教えているものがあります。

彼らの言葉を読み、私の勉強に対する考え方がガラリと変わりました。

勉強はいつ始めても遅くはないもの。今後の自分の人生に活かせるように彼らの言葉を深く吸収し、勉強に励んでいけたらと思います。

勉強に悩める子ども、そして大人と遭遇したらぜひ教えてあげたい彼らの言葉を、この記事に引用します。↓

 

・和田稔少尉

和田稔少尉が日記の中で弟さんへ宛てて書かれた文章より一部引用しています。

 「(前略)お前のやる数学は、ただ試験に役立つためではなく、いつか数学的な考え方の養いということによって、お前の正しい生き方の基石の一つになっているのだ。また更に進んで、お前は近頃の下らない小説なんか読むよりも、むしろ歴史を読まねばならない、ということ。また昔の古典などもよいだろう。そのようなものは、歴史の流れを通じて現在の位置を示してくれるものであるし、ひいてはお前の考え方の位置をはっきり示してくれるものである。(後略)」

(和田稔氏著「わだつみの声消えることなく」p.96)

これを読んでとっても心が痛かった私です。←

勉強がどう自分に活きてくるかを、とてもわかりやすく具体的に説いてくださっています。

歴史を学ぶことで現在こうなっている理由や自分の思想を知ることができるのは、私も少しながら実感しています。

そして数学なんか将来絶対必要ない!と思っていた文系私。

確かに点Pなんて日常に現れないし出会ったものの面積なんていちいち求めませんが、正解の数値を出すことのみが数学なのではなく、その正解の数値に辿り着くための筋道を考える行為も重大な目的であり、寧ろ筋道を考える行為が数学を人生に役立てるということなのだと理解しました。

 

・上別府宜紀大尉

上別府宜紀大尉が妹さん方へ宛てた手紙より一部引用しています。

「(前略)何を勉強するにも、工夫しなければいけません。国語の漢字書き取りなんかは、明日試験だといって勉強しても何にもならない。手紙や感想録その他何を書くのでも、知らない文字とか疑わしい文字があったら、決してそのままにして置かないで一応辞書を引いて確かめておかないといけない。

また道を歩くときも、何か見たらそれを英語ではどういうか、また字はどうかと考え、わからなかったら辞書を引く。こういうようにしなければいけない。私が家で、明日試験があるからといって特別勉強しなくてよかったのは、一つにはこういうことのためだったんです。(後略)」

(回天刊行会「回天」p.168,169)

明日試験だからという勉強しかしてこなかったので、これも心が痛いです。泣←

海軍兵学校時代に書かれた手紙ですが、兵学校生徒の言葉は本当に説得力があります、、、いや、説得力しかありません、、、(なくなる語彙力)

日常と勉強が如何に密接しているかということを説いてくださっている言葉です。

この手紙にはほかの部分にも勉強法が細かく書かれていますが、上別府さんの勉強法、1から100まで全部知りたい人生だった…と思う今日この頃です。

 

・黒木博司大尉

黒木博司大尉が妹さんへ宛てた手紙より一部引用しています。

 「(前略)しっかりしっかり本当に心して勉学をしなくては駄目です。此の勉強というのは英語とか図画などではありません。本当に御国の為を思う真心の勉強です。(後略)」

(吉岡勲氏著「ああ黒木博司少佐」p.136)

他の妹さん宛ての手紙では、国史を読みなさい、歴史を勉強しなさい、などと仰られています。

自己の形成としての勉強が本来の考えの基盤にあり、その上に学校で習う勉強が成り立ち、活かされていくのだということを私は今になってようやく理解しました…。

 

大人になり、勉強を絶対にしなくてはいけないという環境ではなくなりました。

しかしそのような環境だからこそ、(そして私は今まで勉強をしてこなかったからこそ人一倍に)自ら進んであらゆる分野の勉強をしていきたいなと思います。

9月11日の靖国参り

更新しなさすぎで靖国参りの記事が並んでしまいましたが…笑

9月11日は我らが黒木博司少佐のお誕生日でした!

当日、さっそく靖国へ。

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午後から雷がやばい予報だったので午前中に行ってきました。

ここはいつ来ても清々しいけど、黒木さんのお誕生日なので清々しさ倍増。

 

第一鳥居から第二鳥居へ行く道で前々から工事してるところがあるのですが、そこが10月10日にとうとうオープンするらしく看板が出てました。(写真撮り忘れた…)

靖国HPの情報によると、食堂と喫茶店売店ができるのかな?

食堂の詳細喫茶店の詳細が出てました。

遊就館以外にご飯食べるところができるのすっごく嬉しい!

茶店好きとしては喫茶店が楽しみです☺️

 

話が脱線しましたが…笑

お参りして、御朱印も頂いてきました。

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御朱印もらうたびに言ってて申し訳ないですが、今回も黒木さんらしく黒々でっかく堂々と!!って感じでああ〜黒木さんの音ォ〜!(突然の水素ネタ)ってなりました。

 

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靖国神社を後にして。

神保町まで歩いてランチを食べたあと、この日に食べずにいつ食べる!なモンブランを食べました。笑

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リアルに年に1回、黒木さんの誕生日くらいにしか食べないモンブラン

黒木さんを思って美味しくいただきました。

 

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自宅のお供え用に甘栗むいちゃいました的なやつも買って帰りました。笑

さすがに柿は入手できなかった…栗で勘弁してください🙇‍♂️←

 

なんかすっごいフワッフワした記事になっちゃいましたが…改めまして黒木さんお誕生日おめでとうございます🎉

なんの根拠もないけど、私にはどうしてもあなたの魂がいつも私たちを見守り、指導してくださってるようにしか思えないのです。

なので、いつもありがとうございます、という言葉がつい口から出てしまいます。

本当にたくさんのことをあなたに教わっていますが、その中の一つ「どんな熱い思いも実行しなくてはなかったものとなる」ということは、常に心に留めて生きていきたいと思います。

この言葉も周りから見たらおかしいのかもしれないけれど、これからもよろしくお願いします。

 

…ハッ!黒木さんへのメッセージになってしまった笑

最後に、黒木さんが尋常小学校6年生の時に書かれた詩「大日本帝国」より、特に私が好きな4番と5番を抜粋してご紹介します。

「四、世界に誇る 富士の峰

   水又清き琵琶の湖

   世界の遊園 瀬戸内海と

   到るところに 名所あり

 五、あゝ麗はしき日の本の

   この誇りある我等の祖国

   守り立てるは我等のつとめ

   いざやはげまん もろともに」

(吉岡勲氏著「ああ黒木博司少佐」p.29)

8月3日の靖国参り

8月3日は私の尊敬している柿崎実少佐のお誕生日でした。

去年はお参りに行けなかったので、一昨年ぶりのお誕生日参り。

 

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第二鳥居の前でネコチャン発見。

人間を全く気にせず寝てらっしゃって可愛かった笑

神社で動物見かけるのは縁起がいいことなのでお参り前から気持ちも晴れ晴れ…ネコチャンありがとう…

 

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陽も傾き始めた時間帯の参拝でした。

私、夏の夕方って好きなんです。直射も落ち着いてきて体が楽になるのもあるけれど、あたたかい色合いの光と涼しげな影がとてもいいバランスで、落ち着きと儚さを感じます。

今日1日が終わりに向かうことを惜しめるような、それゆえに明日が尊くなるような、そんな気持ちになるのです。


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朝顔が大量に置いてあってなんだか違う場所に来たような感覚でした。

緑倍増で気持ちよかった☺️✌️


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御朱印もしっかり頂きました。

令和元年って、やっぱりなんかちょっと特別な気持ちになります。令和も変わらず柿崎さんの背中を追いかけていきたいな。

 

柿崎さん、お誕生日おめでとうございます。

柿崎さんの魅力はたっくさんあるのですが、その中の一つは、人によって様々な印象があるところ。

家族、同期、上司、部下、そしてお重さん、みんなの証言の中で柿崎さんはいろんなお顔を見せてくれるのです。

一つの言葉では決して彼を語ることができない、というところに彼の人となりの奥深さを感じて、彼の遺した言葉の意味を知るためにも、彼のことをもっと知りたい、という気持ちになります。

そのためには様々な勉強を頑張らねば…です!

回天記念館50周年記念誌「回天記念館と人間魚雷「回天」」

去年の11月に50周年を迎えた回天記念館。

今年の4月にその記念誌として、回天、そして回天記念館に関する専門書が発売されました。

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見た目は圧倒的教科書感!

文庫本と比べるとだいぶ大きい!(近くにいらっしゃった和田さんにご協力頂きました笑)

中身も全部カラーだし、文字がびっしり、そしてサイズ感的にもどこか授業を受けてた時の懐かしさを感じます。

それはそのはず、中高生の学習にも役立てることができれば、と図書館や学校にも配布されているのです。

 

内容は、回天記念館創立に関すること、そして回天部隊の大きな流れや攻撃法、年表など、入門的資料としてとても役立つものとなっています。

言葉があまり難しくならないように選ばれている印象を受け、図解もわかりやすく、そして跡地や当時の写真が満載で、回天部隊をとても理解しやすい本だと思います。

 

そして私が何よりこの本で推して参りたいポイントなのですが、大津島に残る遺構が詳しく載っていて、大津島で持ち歩きながら散策したい本ナンバーワンです!デカさとか関係ありません!!←

他にも光、平生、大神各基地の当時の隊の地図や訓練コースなども載っているので、旅のお供の一冊に加えたい本となりました。

 

記念館で販売されているとのことですが、記念館か、連絡窓口である文化スポーツ課への連絡で、通販も可能となっているようです。

(私は文化スポーツ課へメールを送り購入しました)

連絡先等は周南市回天記念館 - 山口県周南市へ!

私が歴史に対して勘違いしていたこと

※注意※

思ったことをそのまま心の整理としてつらつらと書き綴っているので、間違っていたり、文章がおかしかったり、読みづらかったり理解不能な部分があるかと思いますが、ご了承ください、、。笑

 

 

私はずっと、歴史を調べれば、絶対的な(この時点で、世の中絶対なんてものはないよっていうツッコミは我慢してください…話が終わってしまいます…←)事実を知れると思っていました。

この時代(大東亜戦争)に興味を持ったのも、「本当はどうだったのだろう?」という、事実を知りたい気持ちからでした。

 

しかし、調べていくうちに、一つであろう「事実」を知ることはできないということに気づきました。

資料に書いてあるからそれが100%あったとは言い切れないし、逆に書いてないからそれが100%なかったとも言い切れない。

実際にこの目で現場を確認できないので、可能性的な話はできても、絶対は言い切れません。過去が過去である以上、確実なものは掴めないのです。

 

例えば、私が友人にポロっと言った一言も、私またはその友人が形に残るもので記録しない限り未来には残せないので、未来人からすれば私の一言は「なかった」ことになってしまう。実際は「あった」のに。

この話の逆も然り。(言ってもない事を書かれて言ったことにされている、とか)

そして私がいなくなった未来にいる未来人は、過去に行ってその現場を確認することができないので事実はわかりません。

…例えがクソみたいですみません。笑

 

そんなこんなで、だからこそ書物や記録などから解釈し、歴史を定めるのだな、と分かりました。

これが所謂世の中での「歴史的事実」であり、そしてそれは私の思っている「100%の事実」とは違うものでした。

 

そもそも、今私たちが生きているこの時間だって、1分1秒過ぎれば過去のものになります。

さっきテーブルに出してたコップも、出てた時は出てた事が事実でも、しまってしまえば、記録をしたり写真を撮ったりしていなければ事実としての証明ができないことになるから…ここまで考えて脳みその運動が止まりました。笑

 

話はそれましたが、この話題は

「事実とは言えないものなら、もう何も信じない!」

とかいう話にしたいのではなく…笑

 

歴史的事実は、歴史を決める偉い人たちがどう解釈し、どう定めるかによって、(もちろん、事実に一番近いであろう事が)残ったり変わったりしていくものだと、私は理解しました。

であれば、先人たちが残してきた、そして歴史研究家の方々が見つけ出した様々な情報を、自分はどう解釈し、何を信じるか。そしてそれを自分に、現代に、どう活かすか。

何を歴史に残したいか。

何を後世に伝えていきたいか。

私が歴史を調べ、知る、本当の理由はここにあるな、と思いました。

 

私は回天隊を歴史に残したい。

彼らの生き様を、言葉を、思想を残したい。

これからも調べ、学び、発信していこうと思います。

「18歳の回天特攻隊員の遺書」に今思うこと

tnavy.hatenablog.com

1年以上前に謎を深めて終わった(←)こちらの記事が結構読んで貰えているようなので、今私がこの話について思っていることを書こうと思います。

 

結論から言いますと、「18歳の回天特攻隊員の遺書」として広まっている遺書は、回天搭乗員の遺書ではない、というのが個人的見解です。

 

前回調べた内容からさらに追加で、岡村さんが書籍で言っていた南の島、「マーシャル諸島(書籍ではマーシャル群島と表記)」について調べてみました。

マーシャル諸島は、1944年の2月にアメリカ軍によって失陥し、当時その島々で戦っていた方達の一部は敵に囲まれたまま孤立した状態となり、終戦まで米軍からの爆撃や飢餓に苦しんだそうです。

潜水艦に関しても、失陥直後にマーシャル諸島への補給命令がでたものの、

「潜水艦輸送は昭和十九年六月までに、わずかにミレに二回、クサイに一回成功しただけで、六月中旬以降マーシャルに対する輸送は中止され、敵中にとり残された部隊は、生存非常に大きな苦難を味わうことになったのである。」

(「中部太平洋陸軍作戦第1(マリアナ玉砕まで)p.239)

とのことで、昭和19年12月時点で八雲へ着任された岡村さんがその後マーシャル諸島に向かうこと、そして島周辺に潜水艦が向かうことはあまりにも困難ではないか?と思いました。

 

ここまでくると、前回の記事で述べたような「様々なことに配慮して架空の設定を織り交ぜたり」という部分的な創作ではなく、完全創作、小説の域です。

お話されているすべてが記録にはない事柄なので、これは事実上回天特攻隊員のものである、とは言えません。

 

ただ、回天特攻隊の方のものではないとしても、遺書自体の存在は、私は否定しません。

理由としては、遺書自体が存在しない事が証明されていないからです。

私自身、遺書等の個人の物は、公然?の物品や事柄とは違うという認識なので、存在を確認、または有無を当事者に確認しない限りは断定できません。そして、無理にしなくていいものだとも思います。

 

ここからの話は私の想像…というか行間読みまくったオタクの妄想なんですが…

万が一遺書自体が存在せず、内容全てが岡村さんの作ったものだったとしても、その遺書を考えたのは岡村さん自身ということになります。

回天隊を熱望しても選ばれなかった事、多くの予備学生が戦死した中戦争を生き延びた事(現代の私達の目線から見れば幸運にも、ですが…)、岡村さんにのしかかっているものを考えると、岡村さんの当時抱いていた覚悟というか、気持ちのようなものが、垣間見れるような気がします。(妄想失礼しました)

 

改めて、この遺書は回天特攻隊の方のものだとは、私は思っていません。

現在進行形で、回天隊の話が出た際にこの遺書の話がとりあげられることは多々ありますが、もっと広がってほしいと私が思っている回天隊の方々の言葉は山ほどあります。

メディアによって急速に広まったこの話を見れば、声を大にしていかなきゃ広まらないということは十分に理解できます。

私はこれからも、その彼らの言葉を広めていく努力をしていこうと思っています。

 

令和最初の靖国参り、5月2日

今年の5月1日より、平成の時代が終わり令和の時代へと移り変わりました。

元号が変われど私たちの生活は何も変わりませんが、日本の歴史的な節目を目の当たりにできたということはとても光栄な事だと感じます。

回天隊の彼らが過ごした激動の時代である昭和から、元号が2つ変わりました。

平成に生まれ育った私ですが、とても幸せに生きてこれた事を感謝しています。そして令和の時代、国家、国民、そして世界までもが更に繁栄していくことを深く願っています。

 

さて、5月2日は私の尊敬している柿崎実中尉、古川七郎上曹、山口重雄一曹のご命日なので、毎年靖国参りをしています。

今年も、令和最初のお参りを兼ねて、靖国へ足を運びました。

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5月でも肌寒い日が多くて…この日も曇り空で、雨が少しポツポツしていました。

今年も柿崎さんが突撃された時刻に合わせて、拝殿にて合掌。

 

そのあとは御朱印をいただきました。
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令和元年の文字を見て、日本のつくる時代の流れの中に自分はいるのだな、とか当たり前のことを改めて考えてました。

日本は、日本として今日も時代を歩み続けていますよ。なんて、彼らに向かって心の中で呟いてみたり。

 

「鎮魂之賦 風ヨ雲ヨ」という、海兵72期の泉五郎さんが作詞された詩集があります。

その中の「海征カバ人間魚雷回天抄」より一部引用します。

「時ハ移ロイ人代ハリ

世ノ行ク末ハ知ラネドモ

変ワラヌモノハ唯誠

至高ノ愛ニ殉ジタル

純粹無垢ノソノ御霊

生マレ代リテ幸アレト

タゞ只管ニ祈ルナリ」

(「鎮魂之賦 風ヨ雲ヨ」p.16)