紫紺の空の一つ星

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無智の行ひがなくなってこそ真の児童であり国民である

「六年前の僕は、無智で物の道理も知らず、従って、物の良悪の差別さえつかずして、知らず知らずの中に悪戯が多かった。おだてられて馬鹿げた事をしたり、馬鹿な事を褒められて自慢したり、力自慢をして弱いものをいぢめ遂には泣かせたりしたことは皆無智のなした行ひである。

此の無智の勢力は即ち馬鹿勢力である。今の僕には知識もつき物の道理もわかってきた。他人の無智の行ひを哀に思ふのも物の道理がわかってゐるからである。

併し世の中には六年間の教育を受けても、尚無智の行ひをする者がある。僕にも無智が宿ってゐて、時々これが出て来る。無智の行ひがなくなってこそ真の児童であり国民である。それであるから僕はまだ真の人として真の人には対面出来ぬのである」
(吉岡勲氏「あゝ黒木博司少佐」より)

 

これは、黒木博司少佐が小学校の思い出を綴った、「回顧号」に載っている文章の一部だそうです。 

 

この文章を読んで、正直ギクッとしました。

無智の意味を改めて考えさせられ、「学校を出たから」「勉強をしたから」無智ではなくなる、ということではないんだ、と気づかされました。

おだてられて調子に乗ったり、ついつい自分の自慢(いい意味でも悪い意味でも)をしたくなったり…

特に後者は、無意識にやっていることが多いかもしれません。

主張だと思って言っていたことが、結果的に自慢になっていたり…

 

突然無智を完全に無くすのは難しいことなので、まずは自分の中に「無智」がいることを認め、意識していきたいです。

 

また、吉岡さんが書籍の中で仰っていた、この文章から伺える黒木さん「反省と向上」の姿勢も、見習っていきたいです。