紫紺の空の一つ星

趣味まるだしのブログ。回天特攻隊が中心。ご来訪頂き感謝致します。

冬来りなば春遠からじ

羽生結弦選手が平昌オリンピックで金メダルを獲得し、フィギュア男子シングルでの66年ぶりの連覇を達成。

昨年11月に怪我をして以来一切情報がなく、本当に大丈夫なのかという声もありましたが、そこは羽生選手。やってくれました。

普段私たちが使う「有言実行」という言葉よりも比べ物にならないほど重い「有言実行」を果たしたと思います。

そして国民栄誉賞も授与される方向に話が進んでいて、本当にめでたい!

こんな素晴らしい人と同じ日本人として生まれてよかった、とただただ思ってます。

 

彼の精神というか、考え方というか、そういうものには本当に驚かされます。彼の人生に起こる出来事も、彼自身の考え方も、人間離れしているというか、聖人と言うべきか現人神と言うべきか、、、笑

SEIMEIの演技を見て「この人滑ってない!空飛んでる!」(※滑ってます)と思ったのがきっかけで好きになった私ですが、彼の話を聞けば聞くほど、また行動を見れば見るほど、彼に対しての尊敬が止まりません。

 

特に私が注目したのは羽生選手の「感謝」という言葉。

オリンピック演技後のインタビューでもたくさん使っていました。

またリンクにも感謝し、怪我をした右足にも感謝していました。

人間が生きていく上で一番大切な気持ちは、感謝だと思います。また、人間が生きている中で忘れがちなものも、感謝だと思います。

今回オリンピックを見ていて、羽生選手は溢れるように感謝をしている印象でした。

彼を見習って感謝の心を大切にして生きていきたいです。

 

そして、表彰式後のインタビューで、「回天隊の方の言葉に通じるものがあるな」と思う言葉がありました。

「 金メダルのために身近のありとあらゆる幸せを捨てた」という羽生選手。

私は彼の言う「幸せ」とは、欲に近いものなのではないかな、と思いました。「アレしたい」とか「あっちの道に行きたい」とか、そういうものがたくさんあったのだと思います。

そこで思い出したのは柿崎実少佐の言葉でした。

「欲とは人間の本能だ。本能とは人間に与えられた試練だ。この試練に打ち勝ってこそ、自然の心、不動心、即ち純真さが得られるのだ」

(「回天」/回天刊行会)

彼は、この試練に打ち勝ったのだと思います。だからこそあの演技ができたのでしょう。

 

また、前回のソチオリンピックでは、金メダルを獲ったのに、自分の満足いく演技ではなかった事で「悔しい」と言っていた羽生選手。

今回は終わった後、「幸せ」という言葉もたくさん言っていました。

ここでも思い出されるのは柿崎少佐の言葉です。

「如何なる苦境にあっても之に満足し之を開拓し之を進めるべく努力すること、之が幸福なのだ。」

(「回天」/回天刊行会)

平昌オリンピックまでの期間、66年ぶりの連覇という世界からの重いプレッシャーだけではなく、大きな怪我をした羽生選手にはまさに「苦境」だったでしょう。

彼の成し得たことは、この柿崎少佐の言葉の実証だと感じました。

 

最後に、「しんどいからこそ最終的に幸せが来る」と言った羽生選手。
上別府宜紀中佐の言葉と同じだ、と驚きました。

「“冬来りなば春遠からじ”、厳寒の冬を過ごして桜花爛漫の春が来ると同様、あらゆる苦境を忍び、一途に光明の彼岸に邁進するところに我々日本人の生き甲斐があり、生命があるのだと思います」

(「回天」/回天刊行会)

以前のインタビューで「日本人としてのプライドがものすごくある」と話していた羽生選手ですが、70年以上の時を経てもなお、「日本人の芯」というものは繋がっているのだと強く感じました。

 

23歳の彼の背中に背負わされたものは、とてつもなく重かったことと思います。

普通の人であれば、その重さに耐えきれず潰れてしまったことでしょう。

しかし彼はそれを自らの力に変えました。そして結果を出し、人々に感動を与えました。

まさに厳しい冬を過ごして、春を迎えた人です。

 

フィギュアスケーター」として生きている彼ですが、彼が私たちに教えてくれているものはフィギュアの素晴らしさだけではないと感じています。

私は、人生の生き方、そして一生懸命の意味を彼から教わった気がします。