紫紺の空の一つ星

趣味まるだしのブログ。回天特攻隊が中心。ご来訪頂き感謝致します。

「18歳の回天特攻隊員の遺書」の謎

先に結論をお話ししますが、謎のままです。(まさかの) 

逆に、謎を深めた感がすごいです。←

 

これから、私が個人的にずっと気になっていたことをちょっと調べてみたので、調べたところまで書いていきたいと思います。

そのテーマは、皆さんも一度は目にしたことがあるであろう、「18歳の回天特攻隊員の遺書」。 

YouTubeに動画があったり、FacebookTwitterで記事が流れてきたり、有名人がブログで紹介していたり、回天隊員の遺書としてとても有名なものだと思われます。

 

「お母さん」と話しかけるような遺書に、胸を締め付けられます。家族への愛に溢れた言葉ばかりです。

そしてこの方の「お母さん」が遺書を読んだときの気持ちは想像しただけでも苦しくてつらいし、実際想像できないものだと強く思います。

 

この遺書を知った私は、とても気になるのです。誰が書かれた遺書なのだろう、と…。

現物はないので(後述する本「戦歿学徒の心」に、お母様に渡したという記述有り)筆跡は見ることができませんが、戦没回天搭乗員の氏名は全て公表されてますし、「18歳」なら人数が絞られてきます。

さらに「あと3時間で…」との言葉は、発進時刻がわかっていたことになるので、泊地攻撃の時期の遺書なのでは…?などと色々一人で悶々と考え込んでいました。

(気持ちだけ)ハッカーの如くネットで検索かけても、誰のだったかなんて全然出てこないし…( ;∀;)

 

そんなある日、たまたまYouTubeを見あさっていたら、↓の動画を発見。

※2020年9月1日追記:現在動画は投稿主により非公開となっています

天翔ける青春』というDVDに収録されている映像だそうです。

 どうやらこの遺書のお話は、江田島の教育参考館の館長さんである、岡村清三さんが体験されたお話だったようです。

 

動画のお話をまとめると、

・回天搭載の潜水艦に乗っていた(配置はなかった)

・潜水艦は回天を4基搭載

巡洋艦を発見して回天発進

・搭乗員のお母さんは京都駅裏にいる(今は新幹線が通ってる)

・搭乗員には弟妹達がいる

・2号艇は熱を出してる(岡村さんが代わりに出る?)

・隊員の名前は偽名を使っている?(出撃した方に「岩本」「中村」がいる隊はない)

・回天の話で18歳という言葉は出てこない

・後半の南方での話の部下が18歳

 

ここで謎が一つ解決。

「この遺書を書かれた方は18歳とは限らない」ということ。

きっとこの動画の後半のお話も混ざってしまい、このタイトルで広まったんじゃないかな、と考えてます。

 

何か手掛かりが欲しくて岡村さんに関する本がないか探した結果、「戦歿学徒の心」という本を見つけました。

神宮皇学館大学での講演が本になったものらしいのですが、この本に、岡村さんの経歴や遺書の話などが載っていました。

ちなみに、本はこちらから購入できます。(岡村さんの考える当時の状況や、松田さんの遺書、三島由紀夫との対面の話などが載っていて、大変興味深い本です)

 

この本によると、岡村さんが潜水艦に乗ったのは、南方の島で病気をして日本へ帰るときのことだそう。ちなみに潜水艦の情報は、映像と同じく2600トン級というもの。

わたくし、恥ずかしながら潜水艦に関しては全く知識がなく…ウィキで調べると排水量って基準と常備と水中に分かれてて、どれを代表的に言うのかわかりません…タスケテー

消去法で時期と人数・状況があいそうな潜水艦を探してみましたが、私の調査力ではどれも当てはまらず…

また、回天作戦の潜水艦が、どこかの島に寄って病人を内地へ運ぶということをしていたことはあったのか、こちらも私の調査不足のためわかりません(TT)

そして、回天を4基搭載している潜水艦は、4期予備学生である岡村さんとは時期的に被ることが難しいことも、特定できない一因です。

もしかしたら、既に誰かが発進した後に乗られたのかも…?

 

遺書に関して本で新たに書かれていたことは、発進した搭乗員の学校と下のお名前と日付。

実在するお名前だったので調べてみましたが、時期などが合わないので、こちらも架空で書かれているのではないかと思います。

 

一方、御田重宝さんの本「特攻」に岡村さんの話が載っていたのですが、岡村さんは回天搭乗員募集で「熱望」と書いたにも拘わらずはねられた、との文章が載っていました。 

海軍軍人に興味を持ったら泣きながらでも必ず見る羽目になる資料・辞令公報(前置きの長さ)で少尉任官時の配属先を確認したら、回天搭乗員は「一特基」となっているのに対し、岡村さんは「八雲」でした。

12月以降の岡村さんの動きは調べてないので、その後回天搭乗員になったのかどうかは不明です。

 

私が現時点で調べたのはここまでです。

調べたとは言えないぐらい「わからない」を書きましたが、どう言えばいいのかわからないので調べた、と言っておきます…← 

 

岡村さんは講演をされていた時点で74歳。

とても昔の話ですから事細かに覚えているのは人間として無理がありますし、様々なことに配慮して架空の設定を織り交ぜたりしている部分もあると思います。

あんなにお母さん思いの遺書を書いたのはどなただったのか、ということを知るには、岡村さんが乗っていた潜水艦がわかれば一番いいのですが、それは未だわからず…。

私はただのパンピなので一般公開されている本や資料しか読めませんが、地道にこの謎を解いていけたらいいなと思います。

 

ひとまずこの記事をまとめると、

・遺書を書いたのは18歳とは限らない

・上記のことによって、特定がより難しくなった

ということです←

 

もし何か知っている方がいらっしゃいましたら、また、記事のここ間違ってるよというところがあれば、教えて下さると嬉しいです!

 

 

 

-----2019年6月28日追記-----

記事の続編はこちらです。一応、個人的見解として結論付けました。

tnavy.hatenablog.com