今年も特攻隊全戦没者慰霊祭に参列してきた
昨年に引き続き今年も参列することができました。
今年は桜の開花が早かったので、靖国の桜は散り始めていました。
それでも、すっごくきれいだった(*'ω'*)
今年も美しく咲いてくださってありがとうございます。
ちょっとした露店?や落語のイベントなどやっていて、人もたくさんいました!
2度目のぼっち慰霊祭、少しは慣れたようで緊張することはなかったです…笑
去年は拝殿で凍えるほど寒い思いをしましたが、今年はそこまで寒くなかった(しかし風はふいてくるので少し震えてました笑)ので式に集中できました。
今年の献吟の一つははなんと、河合不死男大尉の歌でした。
「散る花の二度とは咲かじ若櫻 散りてめずらん九重の庭」
吟じられると、文字として目で感じ取っていた時とはまた違う気持ちになりました。
理事長の方の祭文を聞いていていろいろと考えたのですが、
やはり今の日本や世界の状況を見たり、自分の日本人としての在り方?みたいなのを考えると
私の口から軽々しく、英霊の方々に「安らかにお眠りください」なんて言えないなあって。
「眠れるかい!」ってツッコまれそうで…
安心して眠ってもらうには、何も大きなことをせずとも、祖国である日本を愛し、誇りに思うことなんじゃないかと思いました。
自分を愛せなければ他人を愛せないように、自分の国を愛せなければ他の国を愛し、仲良くしていくこと、できなくないかなって。
小さくとも、誰もが夢見る世界平和への一歩だと思います。
あと、自分の国を愛することと、「ほかの国より優れている」と思うことは一緒にされやすいですが、全く違いますよね。
正しい意味で国を愛するって大切だと思います。
そして、国を愛する事以上に大切なのが、家族や友人を愛し、大切に思う気持ちです。ここが愛の根本であり、ここができていないと、国を愛することはできないと思っています。
何か偉そうなことを書いてしまったように見えますが、今自分が書いたことは、私はまだひとつもできていないので、これを自分への戒めとし、頑張ろうと思っているところです。←
「なにが起きても私たちが何とかするので大丈夫です!日本は不滅です!」
って胸を張って言えるようになりたい(願望)
回天に関する記述を探していてたまたま読んだ「呉海軍工廠見習工の記録」という本にて、瀧谷吉さんという方が書かれた文章が、心に残ったので引用します。
「起死回天の悲願も空しく、非命にたおれた回天搭乗員の鎮魂のために忘れてはならないのは、国家と民族は、いつの時代でも危急存亡の際には自己犠牲を強いるのであり、それが民族の再生と復興の礎となっていることである。」
(「呉海軍工廠見習工の記録」p.419)
自己犠牲もまた、愛から繋がる一つの行動であると思っています。