紫紺の空の一つ星

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「18歳の回天特攻隊員の遺書」に今思うこと

tnavy.hatenablog.com

1年以上前に謎を深めて終わった(←)こちらの記事が結構読んで貰えているようなので、今私がこの話について思っていることを書こうと思います。

 

結論から言いますと、「18歳の回天特攻隊員の遺書」として広まっている遺書は、回天搭乗員の遺書ではない、というのが個人的見解です。

 

前回調べた内容からさらに追加で、岡村さんが書籍で言っていた南の島、「マーシャル諸島(書籍ではマーシャル群島と表記)」について調べてみました。

マーシャル諸島は、1944年の2月にアメリカ軍によって失陥し、当時その島々で戦っていた方達の一部は敵に囲まれたまま孤立した状態となり、終戦まで米軍からの爆撃や飢餓に苦しんだそうです。

潜水艦に関しても、失陥直後にマーシャル諸島への補給命令がでたものの、

「潜水艦輸送は昭和十九年六月までに、わずかにミレに二回、クサイに一回成功しただけで、六月中旬以降マーシャルに対する輸送は中止され、敵中にとり残された部隊は、生存非常に大きな苦難を味わうことになったのである。」

(「中部太平洋陸軍作戦第1(マリアナ玉砕まで)p.239)

とのことで、昭和19年12月時点で八雲へ着任された岡村さんがその後マーシャル諸島に向かうこと、そして島周辺に潜水艦が向かうことはあまりにも困難ではないか?と思いました。

 

ここまでくると、前回の記事で述べたような「様々なことに配慮して架空の設定を織り交ぜたり」という部分的な創作ではなく、完全創作、小説の域です。

お話されているすべてが記録にはない事柄なので、これは事実上回天特攻隊員のものである、とは言えません。

 

ただ、回天特攻隊の方のものではないとしても、遺書自体の存在は、私は否定しません。

理由としては、遺書自体が存在しない事が証明されていないからです。

私自身、遺書等の個人の物は、公然?の物品や事柄とは違うという認識なので、存在を確認、または有無を当事者に確認しない限りは断定できません。そして、無理にしなくていいものだとも思います。

 

ここからの話は私の想像…というか行間読みまくったオタクの妄想なんですが…

万が一遺書自体が存在せず、内容全てが岡村さんの作ったものだったとしても、その遺書を考えたのは岡村さん自身ということになります。

回天隊を熱望しても選ばれなかった事、多くの予備学生が戦死した中戦争を生き延びた事(現代の私達の目線から見れば幸運にも、ですが…)、岡村さんにのしかかっているものを考えると、岡村さんの当時抱いていた覚悟というか、気持ちのようなものが、垣間見れるような気がします。(妄想失礼しました)

 

改めて、この遺書は回天特攻隊の方のものだとは、私は思っていません。

現在進行形で、回天隊の話が出た際にこの遺書の話がとりあげられることは多々ありますが、もっと広がってほしいと私が思っている回天隊の方々の言葉は山ほどあります。

メディアによって急速に広まったこの話を見れば、声を大にしていかなきゃ広まらないということは十分に理解できます。

私はこれからも、その彼らの言葉を広めていく努力をしていこうと思っています。