紫紺の空の一つ星

趣味まるだしのブログ。回天特攻隊が中心。ご来訪頂き感謝致します。

令和元年度回天烈士並びに回天搭載戦没潜水艦乗員追悼式に参列してきた

11月10日、今年も気持ち良く晴れてくれました。

さっそく高速船に乗って大津島へ。

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着いたらすぐに見えたのは…

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11月3日に完成したばかりの大津島回天神社!

旭日旗、日の丸、そして菊水の旗が掲げられており、既に胸がいっぱいに。

皆さん真っ先に神社へお参りされていました。

私もその列に並び、しっかり手を合わせてきました。

彼らと向き合える場所がまた一つ増えて、とても感激しています。

 

とりあえずお供え物を…と思い、坂をのぼり追悼式の受付へ。

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今年は旦那さんに頼らず、145羽を1人で折ることができました…!笑

私の尊敬する方お一人お一人に感謝の気持ちを伝える方法が、このような形でしかできずに申し訳ないですが、年に一度、お一人お一人の石碑と向き合い、折鶴をお供えできる事にとても感謝しています。

お供えをしていると、ご遺族の方に「すごいねえ、みんな嬉しいだろうねえ」と声をかけて頂き、泣きそうになりました…

そして今年は、全員の石碑にお花がお供えされていて、関係ないのに私が嬉しくなっちゃいました…

プラスして柿崎隊の4人にはお酒とお菓子(山口さんはおつまみ笑)、黒木さんには好物の栗、仁科さんにはお菓子のお供えをしました。

 

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式が始まるまでの時間、普段ツイッターでお世話になっている研究者の方や漫画家さんにお会いできて、さらには奥本剛さんもお見かけすることができてとても嬉しかったです☺️✨

 

そして驚きなことに、回天顕彰会さんのご厚意により、マイケル・メアご夫妻にご挨拶させていただくことがでしました。

マイケル・メアさんは、回天の攻撃により沈没したミシシネワの生存者であるジョン・メアさんの息子さんです。そして回天の研究者でもあります。

米国より関係者のご家族が初めて参列される記念すべき日に立ち会えただけでもとても光栄なことなのに、まさか直接お話ができるとは思ってもいませんでした。

このような機会を与えて下さった回天顕彰会さんには感謝してもしきれません。

 

お話しさせて頂いている中で、マイケルさんは「史料を探すことに時間をかけすぎないでくれ」と仰られました。

それはマイケルさん自身、アメリカの極秘史料含めさまざまな史料を、膨大な時間をかけて収集・照らし合わせを行った故の、重みのあるお言葉でした。

私たちがインターネットや書籍を読むだけで知れることは、研究者の方々が時間と労力をかけて一生懸命調べてくださった結晶そのものです。如何に自分が恵まれた環境にいるのかが、改めて実感できました。

本来であればものすごい時間がかかることを、私たちは研究者の方々のおかげですぐに知ることができます。であれば、その分の時間を何に使うか、「これから」を担う私たちにとって重要なのはそこなのです。

私の夢は、回天の搭乗員の方々の言葉や生き様、思想を中高生や大学生、そして子どもたちに伝えることです。私は時間を、「伝えること」に使っていきたいと強く思いました。

また、現在もまだ発見されてない当時の史料が多くあることも、そのために研究者の方々が日々調査されていることも事実です。

そのような方々の行動は、未来の研究者含め人類にとって大変有難く、また大変重要なものとなるのだな、と感じました。

 

そして、マイケルさんは「若い世代に受け継いでいってほしい」という言葉も、何度も仰られていました。

それは、後述する追悼式でのマイケルさんの御挨拶でのお話に深く関係するお言葉でした。

私たちが今後受け継いでいくためには、少しでも多くの方に知ってもらい、興味を持ってもらうことが大切だと思います。

マイケルさんが今回、私含め追悼式に来られていた方一人一人にバトンを渡してくださったように、私も今後精進し、多くの、というかそれはもう大量のバトンをばら撒いていきたいと思いました。

 

英語ができない私は、顕彰会さんに通訳をお願いしてお話させて頂いたのですが、今日ほど英語ができないことを悔やんだ日はありません…。ちゃんと勉強しよう…。

 

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定刻の11時30分に、式はスタートしました。

式が始まると同時に太陽が雲に隠れ、直射を浴びることなく過ごせていましたが、献花が始まると再びパアアっと晴れて、とても不思議でした…

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追悼飛行のT5。

いつも不意打ちでいらっしゃり、わーカメラカメラ!ってやってるうちに行ってしまわれるのですが、今年はちゃんと撮れた…!笑

 

平和の島スピーチコンテストの代表の女の子のスピーチが、本当に素晴らしかったです。

ノーベル平和賞の受賞時、インタビューで「世界平和のためになにをしたらいいか?」という質問を受けたマザーテレサの、「家に帰って、家族を大切にしてあげて下さい」という言葉を中心とした内容のスピーチでした。

このマザーテレサの言葉を聞いた当初、彼女は、

「家族を大切にすることは当たり前なのだから、それより、世界の苦しんでいる人々のために行動しなければならないのではないか」

と思ったそうです。

これはほとんどの人に当てはまることではないでしょうか。世界平和を考えた際に、今苦しんでいる人を助けなければ、と思う心は、誰でもあると思います。

しかし彼女はそう感じたとともに、自分が本当に家族を大切にできているかどうか考え、家族に申し訳なくなったそうです。

目の前の人を大切にし、意識的に感謝をすることが、平和につながる。

なぜなら何事も行動するということは、家族がいるからできることであり、それは世界平和のための行動も例外ではないからです。

彼女が説いてくれたのは世界平和を考える際に最も重要な、根本のお話でした。

とても心が震えるスピーチで、聞き終わるときには、「ああ、これもう、全人類もれなく聞いてくれえ…;;」と思いました…。

 

そしてマイケル・メアさんの御挨拶。

式の前日にご遺族とご交流があったそうで、「ご遺族の方それぞれが亡くなった方への思いを強く持っていらっしゃり、それを今に伝えていこうという思いを強く感じました。それは、私やミシシネワの遺族にとっても同じ思いです」と語っていました。

また、一つのエピソードとして、仁科関夫さんのご遺体が上がった時に、マーシャル・ドークさんがそのご遺体に祈りをささげたということもお話されていました。このお話は、マイケルさんの著書「回天」に載っています。

そして、「大切なのは若い世代こそ回天搭乗員のお話を語り継いでいく人々だということ」とのお言葉が。

マイケルさんは、2005年に亡くなれたお父様と、若い世代に語り継ぐことを、死の床で約束されました。今日はその機会となったと仰られていました。そしてお話は続きます。

「父は『私たちは国の為に尽くしたのであって、それを忘れてほしくない。同様に、回天搭乗員も国の為に尽くしたのだから忘れてはならない』と、強く語ったことを今も覚えております。」

当事者であるジョンさんが、当時敵であった国の軍人にもこのような思いを持たれ、それを語り継いでほしいと息子さんに仰られたことに、私は強く胸を打たれたと同時に、自分の視野の狭さを反省しました。

現実、私たちは戦争の話をしたり、学ぶ際は、当時のアメリカの話を聞くことはほぼなく、日本の話が中心だと思います。きっとどこの国も自国の話が中心でしょう。それは当たり前のことです。

しかし自国についてしっかりと知った上で、お互いが当時のお互いについて知り、「みんな国が違うだけで心の向かう先は同じだったのだ」と気付くことが、どれだけ大切なことだろう、と思いました。

マイケルさんの本は、その大切なことを伝えてくれる本だと思います。

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式が終わった後、またもやミラクルが…

顕彰会さんが「クラファンのお礼だよ!」とマイケルさんご夫妻のサイン入りの「回天」の本をくださった上に、マイケルさんご夫妻と一緒にお昼ご飯まで食べさせていただくことになり、緊張マックスでふれあいセンターへ。笑

通訳さんに通訳をしていただき少しお話しして、その後はマイケルさんは新聞の取材を受けられてました。ダンボのように聞き耳を立てながらご飯を食べていると、

ナンシーさん(奥様)に「こっちに座ったほうがインタビュー内容よく聞こえるよ!」的なこと(ニュアンス)を言っていただき、お席を交換してくださいました…優しすぎる!!

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食べ終わって移動する直前、マイケルさんが「帽子あげる!」とミシシネワの帽子をプレゼントしてくださって私大パニック!!

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更にアロマオイルの小瓶のようなものもくださり、「?」という顔をしていると、「ミシシネワから漏れ出た海軍特別燃料だよ!地元の人の生活に影響するから回収されたんだ」と言われて更にパニック!!

こんな貴重なものを頂いたのにパニックで逆に固まってしまって本当に申し訳なかったです…。

このことを友人Kさんに報告すると、海軍特別燃料について「仁科さんが流させたミシシネワの血と同じやん…」と仰られていて、まさにその通りだと深く頷きました。

その小瓶の中には、75年前の、ミシシネワ、そして仁科さん(回天隊)、両国の思いが詰まっていると感じました。

75年の時を経て、両国が現在このように交流し、繋がっていることは、当時の彼らにも伝わっていることと思います。

マイケルさんがくださった物は、私にとって一生の宝物となりました。

 

さて、ご飯も終わり、マイケルさん達と別れ、フェリーまでまだ少し時間があったので、私は一人魚雷発射場跡へ。

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ここに来ないと、家には帰れない。

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参列者の方々もだいぶお帰りになられていた時間なので、誰もいないトンネルを久々に歩き、じっくりと当時に思いを馳せることができました。

 

フェリーが島に到着し、徳山へ。

徳山に着きフェリーを出ると、マイケルさんとばったり再会。

「今日はありがとう、会えてよかったよ。初めて日本に来たけど、みんな素晴らしい人だ。これからも頑張ってね!」

通訳さんが近くにいなかったので、私にもわかるように、優しい英語でこのように声をかけてくださいました。

今はただただ、イエス!サンキュー!ナイストゥミーチュー!しか言えなかった自分を恥じています…(ボキャ貧どころじゃない騒ぎ)

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今回の追悼式は、私にとって特別なものとなりました。

回天顕彰会さん、マイケル・メアさんご夫妻、お会いしたすべての方々に感謝です。

一人で行くことを怖がらず参列して、本当によかった;;

追悼式で、塚本太郎さんの弟さんである塚本悠策さんが「新しい時代が来ているなという感じがする」と仰られていましたが、私もその事を強く感じました。

いい方向へ変わり行く時代。そして当時のことを変わらずに語り継いでいくこと。

これからを歩む私たちに託されたものを、しっかりと理解し、そのための行動を怠らぬよう、日々精進していきたいです。

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書きたいことが多すぎて、まとまりがない上にとても長くなってしまいましたが、ここまでお読みいただき本当にありがとうございました!