紫紺の空の一つ星

趣味まるだしのブログ。回天特攻隊が中心。ご来訪頂き感謝致します。

令和元年度回天烈士並びに回天搭載戦没潜水艦乗員追悼式に参列してきた

11月10日、今年も気持ち良く晴れてくれました。

さっそく高速船に乗って大津島へ。

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着いたらすぐに見えたのは…

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11月3日に完成したばかりの大津島回天神社!

旭日旗、日の丸、そして菊水の旗が掲げられており、既に胸がいっぱいに。

皆さん真っ先に神社へお参りされていました。

私もその列に並び、しっかり手を合わせてきました。

彼らと向き合える場所がまた一つ増えて、とても感激しています。

 

とりあえずお供え物を…と思い、坂をのぼり追悼式の受付へ。

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今年は旦那さんに頼らず、145羽を1人で折ることができました…!笑

私の尊敬する方お一人お一人に感謝の気持ちを伝える方法が、このような形でしかできずに申し訳ないですが、年に一度、お一人お一人の石碑と向き合い、折鶴をお供えできる事にとても感謝しています。

お供えをしていると、ご遺族の方に「すごいねえ、みんな嬉しいだろうねえ」と声をかけて頂き、泣きそうになりました…

そして今年は、全員の石碑にお花がお供えされていて、関係ないのに私が嬉しくなっちゃいました…

プラスして柿崎隊の4人にはお酒とお菓子(山口さんはおつまみ笑)、黒木さんには好物の栗、仁科さんにはお菓子のお供えをしました。

 

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式が始まるまでの時間、普段ツイッターでお世話になっている研究者の方や漫画家さんにお会いできて、さらには奥本剛さんもお見かけすることができてとても嬉しかったです☺️✨

 

そして驚きなことに、回天顕彰会さんのご厚意により、マイケル・メアご夫妻にご挨拶させていただくことがでしました。

マイケル・メアさんは、回天の攻撃により沈没したミシシネワの生存者であるジョン・メアさんの息子さんです。そして回天の研究者でもあります。

米国より関係者のご家族が初めて参列される記念すべき日に立ち会えただけでもとても光栄なことなのに、まさか直接お話ができるとは思ってもいませんでした。

このような機会を与えて下さった回天顕彰会さんには感謝してもしきれません。

 

お話しさせて頂いている中で、マイケルさんは「史料を探すことに時間をかけすぎないでくれ」と仰られました。

それはマイケルさん自身、アメリカの極秘史料含めさまざまな史料を、膨大な時間をかけて収集・照らし合わせを行った故の、重みのあるお言葉でした。

私たちがインターネットや書籍を読むだけで知れることは、研究者の方々が時間と労力をかけて一生懸命調べてくださった結晶そのものです。如何に自分が恵まれた環境にいるのかが、改めて実感できました。

本来であればものすごい時間がかかることを、私たちは研究者の方々のおかげですぐに知ることができます。であれば、その分の時間を何に使うか、「これから」を担う私たちにとって重要なのはそこなのです。

私の夢は、回天の搭乗員の方々の言葉や生き様、思想を中高生や大学生、そして子どもたちに伝えることです。私は時間を、「伝えること」に使っていきたいと強く思いました。

また、現在もまだ発見されてない当時の史料が多くあることも、そのために研究者の方々が日々調査されていることも事実です。

そのような方々の行動は、未来の研究者含め人類にとって大変有難く、また大変重要なものとなるのだな、と感じました。

 

そして、マイケルさんは「若い世代に受け継いでいってほしい」という言葉も、何度も仰られていました。

それは、後述する追悼式でのマイケルさんの御挨拶でのお話に深く関係するお言葉でした。

私たちが今後受け継いでいくためには、少しでも多くの方に知ってもらい、興味を持ってもらうことが大切だと思います。

マイケルさんが今回、私含め追悼式に来られていた方一人一人にバトンを渡してくださったように、私も今後精進し、多くの、というかそれはもう大量のバトンをばら撒いていきたいと思いました。

 

英語ができない私は、顕彰会さんに通訳をお願いしてお話させて頂いたのですが、今日ほど英語ができないことを悔やんだ日はありません…。ちゃんと勉強しよう…。

 

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定刻の11時30分に、式はスタートしました。

式が始まると同時に太陽が雲に隠れ、直射を浴びることなく過ごせていましたが、献花が始まると再びパアアっと晴れて、とても不思議でした…

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追悼飛行のT5。

いつも不意打ちでいらっしゃり、わーカメラカメラ!ってやってるうちに行ってしまわれるのですが、今年はちゃんと撮れた…!笑

 

平和の島スピーチコンテストの代表の女の子のスピーチが、本当に素晴らしかったです。

ノーベル平和賞の受賞時、インタビューで「世界平和のためになにをしたらいいか?」という質問を受けたマザーテレサの、「家に帰って、家族を大切にしてあげて下さい」という言葉を中心とした内容のスピーチでした。

このマザーテレサの言葉を聞いた当初、彼女は、

「家族を大切にすることは当たり前なのだから、それより、世界の苦しんでいる人々のために行動しなければならないのではないか」

と思ったそうです。

これはほとんどの人に当てはまることではないでしょうか。世界平和を考えた際に、今苦しんでいる人を助けなければ、と思う心は、誰でもあると思います。

しかし彼女はそう感じたとともに、自分が本当に家族を大切にできているかどうか考え、家族に申し訳なくなったそうです。

目の前の人を大切にし、意識的に感謝をすることが、平和につながる。

なぜなら何事も行動するということは、家族がいるからできることであり、それは世界平和のための行動も例外ではないからです。

彼女が説いてくれたのは世界平和を考える際に最も重要な、根本のお話でした。

とても心が震えるスピーチで、聞き終わるときには、「ああ、これもう、全人類もれなく聞いてくれえ…;;」と思いました…。

 

そしてマイケル・メアさんの御挨拶。

式の前日にご遺族とご交流があったそうで、「ご遺族の方それぞれが亡くなった方への思いを強く持っていらっしゃり、それを今に伝えていこうという思いを強く感じました。それは、私やミシシネワの遺族にとっても同じ思いです」と語っていました。

また、一つのエピソードとして、仁科関夫さんのご遺体が上がった時に、マーシャル・ドークさんがそのご遺体に祈りをささげたということもお話されていました。このお話は、マイケルさんの著書「回天」に載っています。

そして、「大切なのは若い世代こそ回天搭乗員のお話を語り継いでいく人々だということ」とのお言葉が。

マイケルさんは、2005年に亡くなれたお父様と、若い世代に語り継ぐことを、死の床で約束されました。今日はその機会となったと仰られていました。そしてお話は続きます。

「父は『私たちは国の為に尽くしたのであって、それを忘れてほしくない。同様に、回天搭乗員も国の為に尽くしたのだから忘れてはならない』と、強く語ったことを今も覚えております。」

当事者であるジョンさんが、当時敵であった国の軍人にもこのような思いを持たれ、それを語り継いでほしいと息子さんに仰られたことに、私は強く胸を打たれたと同時に、自分の視野の狭さを反省しました。

現実、私たちは戦争の話をしたり、学ぶ際は、当時のアメリカの話を聞くことはほぼなく、日本の話が中心だと思います。きっとどこの国も自国の話が中心でしょう。それは当たり前のことです。

しかし自国についてしっかりと知った上で、お互いが当時のお互いについて知り、「みんな国が違うだけで心の向かう先は同じだったのだ」と気付くことが、どれだけ大切なことだろう、と思いました。

マイケルさんの本は、その大切なことを伝えてくれる本だと思います。

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式が終わった後、またもやミラクルが…

顕彰会さんが「クラファンのお礼だよ!」とマイケルさんご夫妻のサイン入りの「回天」の本をくださった上に、マイケルさんご夫妻と一緒にお昼ご飯まで食べさせていただくことになり、緊張マックスでふれあいセンターへ。笑

通訳さんに通訳をしていただき少しお話しして、その後はマイケルさんは新聞の取材を受けられてました。ダンボのように聞き耳を立てながらご飯を食べていると、

ナンシーさん(奥様)に「こっちに座ったほうがインタビュー内容よく聞こえるよ!」的なこと(ニュアンス)を言っていただき、お席を交換してくださいました…優しすぎる!!

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食べ終わって移動する直前、マイケルさんが「帽子あげる!」とミシシネワの帽子をプレゼントしてくださって私大パニック!!

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更にアロマオイルの小瓶のようなものもくださり、「?」という顔をしていると、「ミシシネワから漏れ出た海軍特別燃料だよ!地元の人の生活に影響するから回収されたんだ」と言われて更にパニック!!

こんな貴重なものを頂いたのにパニックで逆に固まってしまって本当に申し訳なかったです…。

このことを友人Kさんに報告すると、海軍特別燃料について「仁科さんが流させたミシシネワの血と同じやん…」と仰られていて、まさにその通りだと深く頷きました。

その小瓶の中には、75年前の、ミシシネワ、そして仁科さん(回天隊)、両国の思いが詰まっていると感じました。

75年の時を経て、両国が現在このように交流し、繋がっていることは、当時の彼らにも伝わっていることと思います。

マイケルさんがくださった物は、私にとって一生の宝物となりました。

 

さて、ご飯も終わり、マイケルさん達と別れ、フェリーまでまだ少し時間があったので、私は一人魚雷発射場跡へ。

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ここに来ないと、家には帰れない。

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参列者の方々もだいぶお帰りになられていた時間なので、誰もいないトンネルを久々に歩き、じっくりと当時に思いを馳せることができました。

 

フェリーが島に到着し、徳山へ。

徳山に着きフェリーを出ると、マイケルさんとばったり再会。

「今日はありがとう、会えてよかったよ。初めて日本に来たけど、みんな素晴らしい人だ。これからも頑張ってね!」

通訳さんが近くにいなかったので、私にもわかるように、優しい英語でこのように声をかけてくださいました。

今はただただ、イエス!サンキュー!ナイストゥミーチュー!しか言えなかった自分を恥じています…(ボキャ貧どころじゃない騒ぎ)

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今回の追悼式は、私にとって特別なものとなりました。

回天顕彰会さん、マイケル・メアさんご夫妻、お会いしたすべての方々に感謝です。

一人で行くことを怖がらず参列して、本当によかった;;

追悼式で、塚本太郎さんの弟さんである塚本悠策さんが「新しい時代が来ているなという感じがする」と仰られていましたが、私もその事を強く感じました。

いい方向へ変わり行く時代。そして当時のことを変わらずに語り継いでいくこと。

これからを歩む私たちに託されたものを、しっかりと理解し、そのための行動を怠らぬよう、日々精進していきたいです。

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書きたいことが多すぎて、まとまりがない上にとても長くなってしまいましたが、ここまでお読みいただき本当にありがとうございました!

11月9日、1年ぶりの徳山

今回で3度目となる回天追悼式への参列。

今回は初めて案内の手紙を頂き、一般参加としてお席、お弁当を用意して頂きました😭✨

案内の手紙が届いた時は、驚きと嬉しさでパニックになりました…笑

今年は旦那さんは多忙、母も当日に予定ありで、初めての一人参列でした。

 

スーパーHSPの小心者なので、誰かと一緒じゃないと怖いよお…;;と半べそ状態でしたが、1人で行動することも試練だと思い、勇気を出していざ徳山へ!笑

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わーい、1年ぶりだ!!

またこの地を踏めるなんてなんて自分は幸福なんだ…と早速幸せを噛み締めました。笑

 

ホテルに荷物を置いたら、我慢できずに早速港へ。

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やっぱり、回天模型があったところはもう跡形もなくなってました…😭アアア

整備が終わったらまた戻ってきてくれることを願います!

 

ちなみに、徳山駅の図書館側の広場には噴水が出来てました。

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え、超インスタ映えじゃん…!

暗くなるとライトアップされるので、JKたちが写真撮ってました。

そして駅周辺、去年よりも明らかに若い子が増えてる、というか、若い子しかいない!笑

いたるところに高校生や大学生が溢れてて、めちゃくちゃ活気のある街になってて感動しました。すごいよ周南…!

 

晩御飯は、去年訪れてその美味しさに大興奮した「カフェクラブ ミル」さんで頂きました。

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このドイツパンがほんとにほんとに美味しいんですっっ😭😭

また食べられてよかったなあ😭😭

 

ホテルに帰る前に、先に駅でお土産を購入。

私的山口のお土産代表はこれ。

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松陰餅。笑

帰ったら、旦那さんに「でたよ…」と言われました。←

みんな大好き松陰先生だし、めちゃ美味しいし、一石二鳥だね!(?)

 

そしてずっと気になってた大津島のすだいだいビールが、なんと駅の蔦屋書店に置かれてました!

瓶ものなので配送できないか伺ったところ、5000円以上買わないと対応できないらしく…。

流石にすだいだいビール5000円分は消費しきれないので、悩んだ挙句1本だけ買って帰ることに。笑

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光の反射の加減のためにトースターの横とかいう変な場所での写真ですみません。笑

割れずに持って帰ることができてよかったー!( ;∀;)

まだ飲んでないので、お味のレビューはまた今度…♡

 

そしてコンビニでお供え物と自分の飲み物を買い込んで両手一杯の荷物でホテルへ戻りました。

手がちぎれるかと思った!!!!←

 

ホテルでは旦那さんと電話しながら、心ゆくまで旅のお供であるザメディアジョンの回天本を眺め、枕元に置いて就寝。

あり得ないほどぐっすり寝れました。自分でもびっくり。

1人でホテル泊まるの怖いよお;;とか言ってた自分が嘘のようだ!!

 

さて、前置きが長くなってしまいましたが、次の記事ではようやく追悼式当日について書いていきます!

回天特攻隊員に教えてもらった「勉強」に対する考え方

 

私は、小さいころから勉強が大嫌いでした。

今考えればそれは、「テストで高得点を採っていい成績をもらうことへ向けた準備」を勉強だと思っていたからかもしれません。

自分のためになるという話を聞いても漠然としすぎていて、何がどう将来の日常生活に役立っていくのかがわからず、自分の成長と繋がるなんて考えもしなかったのです。

当時はただひたすら、勉強を「学校から、世間から押し付けられているもの」だと思い込み、嫌悪感を抱いていました。受け身な考え方ですよね。笑

要領というか、短期の記憶力だけはよかったので、テストのために一夜で勉強した後にテストを受けたらすぐ忘れて次の科目を勉強していました。友人にテスト終了後「あそこの問題なんて書いた?」と聞かれても「覚えとらん」と返して驚かれたものです。

恥を忍んで書きますが、おかげで今、学校の勉強は何一つ身についておりません。笑

国語力は御覧の通りの残念感ですが、数学どころか算数もだいぶ怪しいです(やばさ)

私が長い学生時代で行っていたのは、自分のための勉強ではなく成績のための勉強だったからです。

回天隊の彼らが弟さんや妹さんへ宛てた手紙に、どういう勉強をすればいいのか、勉強とは何か、を教えているものがあります。

彼らの言葉を読み、私の勉強に対する考え方がガラリと変わりました。

勉強はいつ始めても遅くはないもの。今後の自分の人生に活かせるように彼らの言葉を深く吸収し、勉強に励んでいけたらと思います。

勉強に悩める子ども、そして大人と遭遇したらぜひ教えてあげたい彼らの言葉を、この記事に引用します。↓

 

・和田稔少尉

和田稔少尉が日記の中で弟さんへ宛てて書かれた文章より一部引用しています。

 「(前略)お前のやる数学は、ただ試験に役立つためではなく、いつか数学的な考え方の養いということによって、お前の正しい生き方の基石の一つになっているのだ。また更に進んで、お前は近頃の下らない小説なんか読むよりも、むしろ歴史を読まねばならない、ということ。また昔の古典などもよいだろう。そのようなものは、歴史の流れを通じて現在の位置を示してくれるものであるし、ひいてはお前の考え方の位置をはっきり示してくれるものである。(後略)」

(和田稔氏著「わだつみの声消えることなく」p.96)

これを読んでとっても心が痛かった私です。←

勉強がどう自分に活きてくるかを、とてもわかりやすく具体的に説いてくださっています。

歴史を学ぶことで現在こうなっている理由や自分の思想を知ることができるのは、私も少しながら実感しています。

そして数学なんか将来絶対必要ない!と思っていた文系私。

確かに点Pなんて日常に現れないし出会ったものの面積なんていちいち求めませんが、正解の数値を出すことのみが数学なのではなく、その正解の数値に辿り着くための筋道を考える行為も重大な目的であり、寧ろ筋道を考える行為が数学を人生に役立てるということなのだと理解しました。

 

・上別府宜紀大尉

上別府宜紀大尉が妹さん方へ宛てた手紙より一部引用しています。

「(前略)何を勉強するにも、工夫しなければいけません。国語の漢字書き取りなんかは、明日試験だといって勉強しても何にもならない。手紙や感想録その他何を書くのでも、知らない文字とか疑わしい文字があったら、決してそのままにして置かないで一応辞書を引いて確かめておかないといけない。

また道を歩くときも、何か見たらそれを英語ではどういうか、また字はどうかと考え、わからなかったら辞書を引く。こういうようにしなければいけない。私が家で、明日試験があるからといって特別勉強しなくてよかったのは、一つにはこういうことのためだったんです。(後略)」

(回天刊行会「回天」p.168,169)

明日試験だからという勉強しかしてこなかったので、これも心が痛いです。泣←

海軍兵学校時代に書かれた手紙ですが、兵学校生徒の言葉は本当に説得力があります、、、いや、説得力しかありません、、、(なくなる語彙力)

日常と勉強が如何に密接しているかということを説いてくださっている言葉です。

この手紙にはほかの部分にも勉強法が細かく書かれていますが、上別府さんの勉強法、1から100まで全部知りたい人生だった…と思う今日この頃です。

 

・黒木博司大尉

黒木博司大尉が妹さんへ宛てた手紙より一部引用しています。

 「(前略)しっかりしっかり本当に心して勉学をしなくては駄目です。此の勉強というのは英語とか図画などではありません。本当に御国の為を思う真心の勉強です。(後略)」

(吉岡勲氏著「ああ黒木博司少佐」p.136)

他の妹さん宛ての手紙では、国史を読みなさい、歴史を勉強しなさい、などと仰られています。

自己の形成としての勉強が本来の考えの基盤にあり、その上に学校で習う勉強が成り立ち、活かされていくのだということを私は今になってようやく理解しました…。

 

大人になり、勉強を絶対にしなくてはいけないという環境ではなくなりました。

しかしそのような環境だからこそ、(そして私は今まで勉強をしてこなかったからこそ人一倍に)自ら進んであらゆる分野の勉強をしていきたいなと思います。

9月11日の靖国参り

更新しなさすぎで靖国参りの記事が並んでしまいましたが…笑

9月11日は我らが黒木博司少佐のお誕生日でした!

当日、さっそく靖国へ。

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午後から雷がやばい予報だったので午前中に行ってきました。

ここはいつ来ても清々しいけど、黒木さんのお誕生日なので清々しさ倍増。

 

第一鳥居から第二鳥居へ行く道で前々から工事してるところがあるのですが、そこが10月10日にとうとうオープンするらしく看板が出てました。(写真撮り忘れた…)

靖国HPの情報によると、食堂と喫茶店売店ができるのかな?

食堂の詳細喫茶店の詳細が出てました。

遊就館以外にご飯食べるところができるのすっごく嬉しい!

茶店好きとしては喫茶店が楽しみです☺️

 

話が脱線しましたが…笑

お参りして、御朱印も頂いてきました。

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御朱印もらうたびに言ってて申し訳ないですが、今回も黒木さんらしく黒々でっかく堂々と!!って感じでああ〜黒木さんの音ォ〜!(突然の水素ネタ)ってなりました。

 

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靖国神社を後にして。

神保町まで歩いてランチを食べたあと、この日に食べずにいつ食べる!なモンブランを食べました。笑

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リアルに年に1回、黒木さんの誕生日くらいにしか食べないモンブラン

黒木さんを思って美味しくいただきました。

 

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自宅のお供え用に甘栗むいちゃいました的なやつも買って帰りました。笑

さすがに柿は入手できなかった…栗で勘弁してください🙇‍♂️←

 

なんかすっごいフワッフワした記事になっちゃいましたが…改めまして黒木さんお誕生日おめでとうございます🎉

なんの根拠もないけど、私にはどうしてもあなたの魂がいつも私たちを見守り、指導してくださってるようにしか思えないのです。

なので、いつもありがとうございます、という言葉がつい口から出てしまいます。

本当にたくさんのことをあなたに教わっていますが、その中の一つ「どんな熱い思いも実行しなくてはなかったものとなる」ということは、常に心に留めて生きていきたいと思います。

この言葉も周りから見たらおかしいのかもしれないけれど、これからもよろしくお願いします。

 

…ハッ!黒木さんへのメッセージになってしまった笑

最後に、黒木さんが尋常小学校6年生の時に書かれた詩「大日本帝国」より、特に私が好きな4番と5番を抜粋してご紹介します。

「四、世界に誇る 富士の峰

   水又清き琵琶の湖

   世界の遊園 瀬戸内海と

   到るところに 名所あり

 五、あゝ麗はしき日の本の

   この誇りある我等の祖国

   守り立てるは我等のつとめ

   いざやはげまん もろともに」

(吉岡勲氏著「ああ黒木博司少佐」p.29)

8月3日の靖国参り

8月3日は私の尊敬している柿崎実少佐のお誕生日でした。

去年はお参りに行けなかったので、一昨年ぶりのお誕生日参り。

 

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第二鳥居の前でネコチャン発見。

人間を全く気にせず寝てらっしゃって可愛かった笑

神社で動物見かけるのは縁起がいいことなのでお参り前から気持ちも晴れ晴れ…ネコチャンありがとう…

 

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陽も傾き始めた時間帯の参拝でした。

私、夏の夕方って好きなんです。直射も落ち着いてきて体が楽になるのもあるけれど、あたたかい色合いの光と涼しげな影がとてもいいバランスで、落ち着きと儚さを感じます。

今日1日が終わりに向かうことを惜しめるような、それゆえに明日が尊くなるような、そんな気持ちになるのです。


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朝顔が大量に置いてあってなんだか違う場所に来たような感覚でした。

緑倍増で気持ちよかった☺️✌️


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御朱印もしっかり頂きました。

令和元年って、やっぱりなんかちょっと特別な気持ちになります。令和も変わらず柿崎さんの背中を追いかけていきたいな。

 

柿崎さん、お誕生日おめでとうございます。

柿崎さんの魅力はたっくさんあるのですが、その中の一つは、人によって様々な印象があるところ。

家族、同期、上司、部下、そしてお重さん、みんなの証言の中で柿崎さんはいろんなお顔を見せてくれるのです。

一つの言葉では決して彼を語ることができない、というところに彼の人となりの奥深さを感じて、彼の遺した言葉の意味を知るためにも、彼のことをもっと知りたい、という気持ちになります。

そのためには様々な勉強を頑張らねば…です!

回天記念館50周年記念誌「回天記念館と人間魚雷「回天」」

去年の11月に50周年を迎えた回天記念館。

今年の4月にその記念誌として、回天、そして回天記念館に関する専門書が発売されました。

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見た目は圧倒的教科書感!

文庫本と比べるとだいぶ大きい!(近くにいらっしゃった和田さんにご協力頂きました笑)

中身も全部カラーだし、文字がびっしり、そしてサイズ感的にもどこか授業を受けてた時の懐かしさを感じます。

それはそのはず、中高生の学習にも役立てることができれば、と図書館や学校にも配布されているのです。

 

内容は、回天記念館創立に関すること、そして回天部隊の大きな流れや攻撃法、年表など、入門的資料としてとても役立つものとなっています。

言葉があまり難しくならないように選ばれている印象を受け、図解もわかりやすく、そして跡地や当時の写真が満載で、回天部隊をとても理解しやすい本だと思います。

 

そして私が何よりこの本で推して参りたいポイントなのですが、大津島に残る遺構が詳しく載っていて、大津島で持ち歩きながら散策したい本ナンバーワンです!デカさとか関係ありません!!←

他にも光、平生、大神各基地の当時の隊の地図や訓練コースなども載っているので、旅のお供の一冊に加えたい本となりました。

 

記念館で販売されているとのことですが、記念館か、連絡窓口である文化スポーツ課への連絡で、通販も可能となっているようです。

(私は文化スポーツ課へメールを送り購入しました)

連絡先等は周南市回天記念館 - 山口県周南市へ!

私が歴史に対して勘違いしていたこと

※注意※

思ったことをそのまま心の整理としてつらつらと書き綴っているので、間違っていたり、文章がおかしかったり、読みづらかったり理解不能な部分があるかと思いますが、ご了承ください、、。笑

 

 

私はずっと、歴史を調べれば、絶対的な(この時点で、世の中絶対なんてものはないよっていうツッコミは我慢してください…話が終わってしまいます…←)事実を知れると思っていました。

この時代(大東亜戦争)に興味を持ったのも、「本当はどうだったのだろう?」という、事実を知りたい気持ちからでした。

 

しかし、調べていくうちに、一つであろう「事実」を知ることはできないということに気づきました。

資料に書いてあるからそれが100%あったとは言い切れないし、逆に書いてないからそれが100%なかったとも言い切れない。

実際にこの目で現場を確認できないので、可能性的な話はできても、絶対は言い切れません。過去が過去である以上、確実なものは掴めないのです。

 

例えば、私が友人にポロっと言った一言も、私またはその友人が形に残るもので記録しない限り未来には残せないので、未来人からすれば私の一言は「なかった」ことになってしまう。実際は「あった」のに。

この話の逆も然り。(言ってもない事を書かれて言ったことにされている、とか)

そして私がいなくなった未来にいる未来人は、過去に行ってその現場を確認することができないので事実はわかりません。

…例えがクソみたいですみません。笑

 

そんなこんなで、だからこそ書物や記録などから解釈し、歴史を定めるのだな、と分かりました。

これが所謂世の中での「歴史的事実」であり、そしてそれは私の思っている「100%の事実」とは違うものでした。

 

そもそも、今私たちが生きているこの時間だって、1分1秒過ぎれば過去のものになります。

さっきテーブルに出してたコップも、出てた時は出てた事が事実でも、しまってしまえば、記録をしたり写真を撮ったりしていなければ事実としての証明ができないことになるから…ここまで考えて脳みその運動が止まりました。笑

 

話はそれましたが、この話題は

「事実とは言えないものなら、もう何も信じない!」

とかいう話にしたいのではなく…笑

 

歴史的事実は、歴史を決める偉い人たちがどう解釈し、どう定めるかによって、(もちろん、事実に一番近いであろう事が)残ったり変わったりしていくものだと、私は理解しました。

であれば、先人たちが残してきた、そして歴史研究家の方々が見つけ出した様々な情報を、自分はどう解釈し、何を信じるか。そしてそれを自分に、現代に、どう活かすか。

何を歴史に残したいか。

何を後世に伝えていきたいか。

私が歴史を調べ、知る、本当の理由はここにあるな、と思いました。

 

私は回天隊を歴史に残したい。

彼らの生き様を、言葉を、思想を残したい。

これからも調べ、学び、発信していこうと思います。