広島・山口旅行その③
3/19、Kさんは早朝に呉へと旅立たれたので、一人で一年ぶりの大津島へ。
ここ最近私生活で色々とあり何も調べていないどころか本も全く読んでおらず、下準備ができていないままの島散策……
しかし最近回天記念館のホームページがリニューアルされて、菊水隊の短刀伝達式や写真撮影を行った場所などがどこかが詳しく紹介されていたので、ホームページを見ながら色々と回れました(^-^)
まずは基地入口門の門柱。公園の中にあったのか……
奥にある階段をのぼってみると……
こんな景色が!!
初めて来た!!3回目の大津島だけど!!(もっと調べて行きましょう)
しばらく海をじっと眺めて、トンネルへ。
酸素魚雷発射試験場のとこには、釣りしてる人がたくさんいた。
その後は回天記念館へ。
柿崎隊の方々の墓碑のすぐそばには、黄色いお花が咲いていました。
そして短刀伝達式を行った場所には、桜が咲いていました。
記念館はいつ来ても、全て見て回るのに2時間はかかります…
ちなみに記念館のトイレの真横が、写真撮影をしていた場所らしいです。
ここであの写真を…と考えるとしばらく動けなくなりました。
記念館を出た後は時間があったので…
ずっと行こうと思っててなかなか勇気が出なかった魚雷見張り所に行ってきました。
もうね、想像してた以上に、めっちゃ山。←
普段運動全くしないサイドの人間にとって過酷すぎて、途中で登ったことを後悔すらしました(′;ω;`)笑
しかし負けたくないので(謎の闘い)ガクガクする足を必死に動かしてとうとう見張り所へ…!!
THE・綺麗!!!!(;▽;)
こりゃめちゃくちゃ見張れるわあ〜!!!
ちなみに建物は敷地ギリギリのサイズなので写真にはおさまりませんでした。笑
登山を終えて清々しい気持ちで港付近に戻るもまだまだ時間はある……
ということで今まで歩いたことなかった海沿いの道を歩いてみました。
するとこんな看板が……
なんだこの比較しやすい看板は( ;∀;)
君とはもっと早くに出会いたかったよ( ;∀;)(もっと行動しましょう)
ホームページの内容も合わせて読み返したところ、どうやらこの茶色くてちみっとまるっとしたもの(係船柱というらしいです)が当時の陸と海の境目の意味を持つようで……
今は埋め立てられて敷地が広がってるようです。
大津島より出撃した彼らが見たであろう景色の現在の姿。
ひと通り見て回ってもフェリーの時間はまだまだ来なくて、公園をうろついてたら島に住んでるおじいさんに声をかけられました。
戦争当時の島の話などをたくさんしてくれたのですが、そのおじいさんは仲の良い潜水艦乗組員の方がいたらしく、よく島に来ては一緒に飲み、当時の話を聞いていたとか。
その乗組員の方のお名前を聞いて、思わずおじいさんを2度見してしまった…
本も出版しているし証言もしてらっしゃる伊366潜の池田勝武さんでした( ゚д゚)
池田さんは当時の話をするといつもポロポロと泣き、飲んで童謡の「ふるさと」の3番を歌っていたそうです。
ふるさとの3番:
こころざしを果たして
いつの日にか帰らん
山は青き故郷
水は清き故郷
おじいさんは「帰れるわけないのにねえ…」と言っていたので、搭乗員の方が歌っていたのを思い出し池田さんが歌った、ということなのでしょうか…
どちらにしてもふるさとの歌詞の3番の意味を深く考えたのはその日が人生で初めてで、心に響いて泣きそうになりました。
ちなみにおじいさんは「なぜみんな鉢巻をしていたか分かる?」と。
答えられずにいると、「あの鉢巻はね、自決する時口に挟むんだよ」と仰られました。
戦争の話を直接聞く機会なんて全くなかったので、おじいさんの一言一句が衝撃的でした。
フェリーの時間が来てお別れしましたが、とても貴重な体験でした。
次の日は光の回天の碑を見に行く予定だったので、この日は光に移動して一泊。
次につづく。