紫紺の空の一つ星

趣味まるだしのブログ。日常、美容、帝国海軍、回天特攻隊が中心。ご来訪頂き感謝致します。

結局のところ、ありのままの君と僕でいいんだ

アイドルグループの歌の歌詞みたいなタイトルになっちゃいましたが…

とてもいいな、と思った考え方を見つけたので記事を書きます。

 

心理カウンセラーの心屋仁之助さんという方がお話している「前者後者論」。

この前者後者という言い方、もともとは「子供でいられなかった大人と、大人になり切れなかった子供のような大人」の話の中で、それぞれ前者は、後者は、という言い方をしていて定着していったものであって、甲乙の意味ではないのでご注意を。

 

私は頭の中で、前者をフリンライダー、後者をラプンツェルで変換して理解しました。笑

冷静で計算高く、根は真面目なフリンライダーと、

感情的で突っ走ってフリンを困らせるけど、いざという時に才能発揮してフリンを助けるラプンツェル

ちょっと何言ってるかわかんないですって人はラプンツェル見てね!

いわゆる右脳派・左脳派のように人を2つのタイプに分けた考え方なのですが、この2種類を理解してから、本当に最近気が楽というか、もはや楽しい。笑

 

私はこの話でいう前者です。フリンライダー。

なぜ自分が簡単にできることがラプンツェルにできないのかわからなかったし、

本当はできるけどわざとやらないんじゃないかと思ってたし(悪意を疑ってた)、

我が道を行き、我慢をせず、集中力が半端ないラプンツェルをうらやましく思っていたり(何故こうなれないのかと自分を責めた)。。。

なぜこんな考えをしていたのか、やっと理解できました。

私はラプンツェルのことを当然のようにフリンライダーであると思っていたからです。(または、自分はラプンツェルだと思うことも)

そりゃすれ違いますわ。そりゃイライラしますわ。 

種が違うんだから自分とやることなすこと真反対で当然です。

そこを理解すると、人と接する際になんのしがらみもないので、楽しくなってきちゃってやばいです。←

(仏じゃないんでもちろん話の内容によっては腹の立つ瞬間もありますよ!)

 

で、なぜ私がブログに書こうかと思ったのかというと、これはただの診断のようなものではなく、ちゃんとその先に目的があるからです。

以下心屋さんのブログより引用。

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■前者・後者論を展開する目的

 要は、前者・後者をはっきりさせるのが「目的」ではなく、「自分を責める」「今の自分はダメだ」と責めるのをやめようというのが目的です。自分が前者か後者がわからない人でも

 「今の自分で、この自分でいいんだ、他の誰かになろうとしなくて、そのために頑張らなくていいんだ。できるものだけをやって、できないものは人に頼ればいいんだ」

 と、自分を全肯定するための、前者後者という「ツール」なのです。

自分に関わる人が、前者なのか後者なのか理解することで、ひととの付き合い、上司部下の関係、教育、子育て、夫婦生活に応用できるものだと信じております。

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周りを気にして無理して頑張ってるから、

頑張らない(できない)他人を見て腹が立ったり、

出来る人を見てへこんで「自分はダメだ」と思ったり。

前者後者論を知って、

前者ができることと後者ができることは全然違うんだから、

腹を立てる必要もへこむ必要もなくない?

って思えました。

象の首は伸びないし、キリンの鼻は伸びない。

そう思うと、自分の価値観に相手をはめ込むことが無意味であり、

また自分自身も、自分が勝手に作った「こうでなきゃいけない」に従う必要はないんだ、というのがよくわかりました。

 

「こうでなきゃいけない」は、きっと周りの目を気にして出てくる言葉なんじゃないかと思います。

「こうでなきゃいけない」を振り払えば、私たちは自由です。

でも自由になるということは、責任は全て自分にあるということです。

「こうでなきゃいけない」に縛られている時は、「でも周りがこうだから」「常識的にこうだから」って責任逃れできてだいぶ楽だったと思います。

自由になるのは責任がついてきて大変なんじゃないかと一瞬思ってしまいますが、自分に自信があれば、責任なんて屁でもありません。

そして自分に自信を持つには、「ありのままの自分でいいんだ」と今の自分を肯定してあげること。

だから、「ありのままの自分でいい」と思えたら、もう自由。

 自分がありのままでいいんだから、他人だってありのままでいい。

 

このままの自分でいいんだ。

このままのあなたでいいんだ。

 

あなたはフリンライダー?それともラプンツェル

どっちにしろ、楽しくやっていきましょー!

今年も特攻隊全戦没者慰霊祭に参列してきた

昨年に引き続き今年も参列することができました。

今年は桜の開花が早かったので、靖国の桜は散り始めていました。

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それでも、すっごくきれいだった(*'ω'*)

今年も美しく咲いてくださってありがとうございます。

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ちょっとした露店?や落語のイベントなどやっていて、人もたくさんいました!

 

2度目のぼっち慰霊祭、少しは慣れたようで緊張することはなかったです…笑

去年は拝殿で凍えるほど寒い思いをしましたが、今年はそこまで寒くなかった(しかし風はふいてくるので少し震えてました笑)ので式に集中できました。

 

今年の献吟の一つははなんと、河合不死男大尉の歌でした。

「散る花の二度とは咲かじ若櫻 散りてめずらん九重の庭」

吟じられると、文字として目で感じ取っていた時とはまた違う気持ちになりました。

 

理事長の方の祭文を聞いていていろいろと考えたのですが、

やはり今の日本や世界の状況を見たり、自分の日本人としての在り方?みたいなのを考えると

私の口から軽々しく、英霊の方々に「安らかにお眠りください」なんて言えないなあって。

「眠れるかい!」ってツッコまれそうで…

安心して眠ってもらうには、何も大きなことをせずとも、祖国である日本を愛し、誇りに思うことなんじゃないかと思いました。

自分を愛せなければ他人を愛せないように、自分の国を愛せなければ他の国を愛し、仲良くしていくこと、できなくないかなって。

小さくとも、誰もが夢見る世界平和への一歩だと思います。

あと、自分の国を愛することと、「ほかの国より優れている」と思うことは一緒にされやすいですが、全く違いますよね。

正しい意味で国を愛するって大切だと思います。

そして、国を愛する事以上に大切なのが、家族や友人を愛し、大切に思う気持ちです。ここが愛の根本であり、ここができていないと、国を愛することはできないと思っています。

何か偉そうなことを書いてしまったように見えますが、今自分が書いたことは、私はまだひとつもできていないので、これを自分への戒めとし、頑張ろうと思っているところです。←

「なにが起きても私たちが何とかするので大丈夫です!日本は不滅です!」

って胸を張って言えるようになりたい(願望)

 

回天に関する記述を探していてたまたま読んだ「呉海軍工廠見習工の記録」という本にて、瀧谷吉さんという方が書かれた文章が、心に残ったので引用します。

「起死回天の悲願も空しく、非命にたおれた回天搭乗員の鎮魂のために忘れてはならないのは、国家と民族は、いつの時代でも危急存亡の際には自己犠牲を強いるのであり、それが民族の再生と復興の礎となっていることである。」

(「呉海軍工廠見習工の記録」p.419)

 

自己犠牲もまた、愛から繋がる一つの行動であると思っています。

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「18歳の回天特攻隊員の遺書」の謎

先に結論をお話ししますが、謎のままです。(まさかの) 

逆に、謎を深めた感がすごいです。←

 

これから、私が個人的にずっと気になっていたことをちょっと調べてみたので、調べたところまで書いていきたいと思います。

そのテーマは、皆さんも一度は目にしたことがあるであろう、「18歳の回天特攻隊員の遺書」。 

YouTubeに動画があったり、FacebookTwitterで記事が流れてきたり、有名人がブログで紹介していたり、回天隊員の遺書としてとても有名なものだと思われます。

 

「お母さん」と話しかけるような遺書に、胸を締め付けられます。家族への愛に溢れた言葉ばかりです。

そしてこの方の「お母さん」が遺書を読んだときの気持ちは想像しただけでも苦しくてつらいし、実際想像できないものだと強く思います。

 

この遺書を知った私は、とても気になるのです。誰が書かれた遺書なのだろう、と…。

現物はないので(後述する本「戦歿学徒の心」に、お母様に渡したという記述有り)筆跡は見ることができませんが、戦没回天搭乗員の氏名は全て公表されてますし、「18歳」なら人数が絞られてきます。

さらに「あと3時間で…」との言葉は、発進時刻がわかっていたことになるので、泊地攻撃の時期の遺書なのでは…?などと色々一人で悶々と考え込んでいました。

(気持ちだけ)ハッカーの如くネットで検索かけても、誰のだったかなんて全然出てこないし…( ;∀;)

 

そんなある日、たまたまYouTubeを見あさっていたら、↓の動画を発見。

天翔ける青春』というDVDに収録されている映像だそうです。

 どうやらこの遺書のお話は、江田島の教育参考館の館長さんである、岡村清三さんが体験されたお話だったようです。

 

動画のお話をまとめると、

・回天搭載の潜水艦に乗っていた(配置はなかった)

・潜水艦は回天を4基搭載

巡洋艦を発見して回天発進

・搭乗員のお母さんは京都駅裏にいる(今は新幹線が通ってる)

・搭乗員には弟妹達がいる

・2号艇は熱を出してる(岡村さんが代わりに出る?)

・隊員の名前は偽名を使っている?(出撃した方に「岩本」「中村」がいる隊はない)

・回天の話で18歳という言葉は出てこない

・後半の南方での話の部下が18歳

 

ここで謎が一つ解決。

「この遺書を書かれた方は18歳とは限らない」ということ。

きっとこの動画の後半のお話も混ざってしまい、このタイトルで広まったんじゃないかな、と考えてます。

 

何か手掛かりが欲しくて岡村さんに関する本がないか探した結果、「戦歿学徒の心」という本を見つけました。

神宮皇学館大学での講演が本になったものらしいのですが、この本に、岡村さんの経歴や遺書の話などが載っていました。

ちなみに、本はこちらから購入できます。(岡村さんの考える当時の状況や、松田さんの遺書、三島由紀夫との対面の話などが載っていて、大変興味深い本です)

 

この本によると、岡村さんが潜水艦に乗ったのは、南方の島で病気をして日本へ帰るときのことだそう。ちなみに潜水艦の情報は、映像と同じく2600トン級というもの。

わたくし、恥ずかしながら潜水艦に関しては全く知識がなく…ウィキで調べると排水量って基準と常備と水中に分かれてて、どれを代表的に言うのかわかりません…タスケテー

消去法で時期と人数・状況があいそうな潜水艦を探してみましたが、私の調査力ではどれも当てはまらず…

また、回天作戦の潜水艦が、どこかの島に寄って病人を内地へ運ぶということをしていたことはあったのか、こちらも私の調査不足のためわかりません(TT)

そして、回天を4基搭載している潜水艦は、4期予備学生である岡村さんとは時期的に被ることが難しいことも、特定できない一因です。

もしかしたら、既に誰かが発進した後に乗られたのかも…?

 

遺書に関して本で新たに書かれていたことは、発進した搭乗員の学校と下のお名前と日付。

実在するお名前だったので調べてみましたが、時期などが合わないので、こちらも架空で書かれているのではないかと思います。

 

一方、御田重宝さんの本「特攻」に岡村さんの話が載っていたのですが、岡村さんは回天搭乗員募集で「熱望」と書いたにも拘わらずはねられた、との文章が載っていました。 

海軍軍人に興味を持ったら泣きながらでも必ず見る羽目になる資料・辞令公報(前置きの長さ)で少尉任官時の配属先を確認したら、回天搭乗員は「一特基」となっているのに対し、岡村さんは「八雲」でした。

12月以降の岡村さんの動きは調べてないので、その後回天搭乗員になったのかどうかは不明です。

 

私が現時点で調べたのはここまでです。

調べたとは言えないぐらい「わからない」を書きましたが、どう言えばいいのかわからないので調べた、と言っておきます…← 

 

岡村さんは講演をされていた時点で74歳。

とても昔の話ですから事細かに覚えているのは人間として無理がありますし、様々なことに配慮して架空の設定を織り交ぜたりしている部分もあると思います。

あんなにお母さん思いの遺書を書いたのはどなただったのか、ということを知るには、岡村さんが乗っていた潜水艦がわかれば一番いいのですが、それは未だわからず…。

私はただのパンピなので一般公開されている本や資料しか読めませんが、地道にこの謎を解いていけたらいいなと思います。

 

ひとまずこの記事をまとめると、

・遺書を書いたのは18歳とは限らない

上記のことによって、特定がより難しくなった

ということです←

 

もし何か知っている方がいらっしゃいましたら、また、記事のここ間違ってるよというところがあれば、教えて下さると嬉しいです!

冬来りなば春遠からじ

羽生結弦選手が平昌オリンピックで金メダルを獲得し、フィギュア男子シングルでの66年ぶりの連覇を達成。

昨年11月に怪我をして以来一切情報がなく、本当に大丈夫なのかという声もありましたが、そこは羽生選手。やってくれました。

普段私たちが使う「有言実行」という言葉よりも比べ物にならないほど重い「有言実行」を果たしたと思います。

そして国民栄誉賞も授与される方向に話が進んでいて、本当にめでたい!

こんな素晴らしい人と同じ日本人として生まれてよかった、とただただ思ってます。

 

彼の精神というか、考え方というか、そういうものには本当に驚かされます。彼の人生に起こる出来事も、彼自身の考え方も、人間離れしているというか、聖人と言うべきか現人神と言うべきか、、、笑

SEIMEIの演技を見て「この人滑ってない!空飛んでる!」(※滑ってます)と思ったのがきっかけで好きになった私ですが、彼の話を聞けば聞くほど、また行動を見れば見るほど、彼に対しての尊敬が止まりません。

 

特に私が注目したのは羽生選手の「感謝」という言葉。

オリンピック演技後のインタビューでもたくさん使っていました。

またリンクにも感謝し、怪我をした右足にも感謝していました。

人間が生きていく上で一番大切な気持ちは、感謝だと思います。また、人間が生きている中で忘れがちなものも、感謝だと思います。

今回オリンピックを見ていて、羽生選手は溢れるように感謝をしている印象でした。

彼を見習って感謝の心を大切にして生きていきたいです。

 

そして、表彰式後のインタビューで、「回天隊の方の言葉に通じるものがあるな」と思う言葉がありました。

「 金メダルのために身近のありとあらゆる幸せを捨てた」という羽生選手。

私は彼の言う「幸せ」とは、欲に近いものなのではないかな、と思いました。「アレしたい」とか「あっちの道に行きたい」とか、そういうものがたくさんあったのだと思います。

そこで思い出したのは柿崎実少佐の言葉でした。

「欲とは人間の本能だ。本能とは人間に与えられた試練だ。この試練に打ち勝ってこそ、自然の心、不動心、即ち純真さが得られるのだ」

(「回天」/回天刊行会)

彼は、この試練に打ち勝ったのだと思います。だからこそあの演技ができたのでしょう。

 

また、前回のソチオリンピックでは、金メダルを獲ったのに、自分の満足いく演技ではなかった事で「悔しい」と言っていた羽生選手。

今回は終わった後、「幸せ」という言葉もたくさん言っていました。

ここでも思い出されるのは柿崎少佐の言葉です。

「如何なる苦境にあっても之に満足し之を開拓し之を進めるべく努力すること、之が幸福なのだ。」

(「回天」/回天刊行会)

平昌オリンピックまでの期間、66年ぶりの連覇という世界からの重いプレッシャーだけではなく、大きな怪我をした羽生選手にはまさに「苦境」だったでしょう。

彼の成し得たことは、この柿崎少佐の言葉の実証だと感じました。

 

最後に、「しんどいからこそ最終的に幸せが来る」と言った羽生選手。
上別府宜紀中佐の言葉と同じだ、と驚きました。

「“冬来りなば春遠からじ”、厳寒の冬を過ごして桜花爛漫の春が来ると同様、あらゆる苦境を忍び、一途に光明の彼岸に邁進するところに我々日本人の生き甲斐があり、生命があるのだと思います」

(「回天」/回天刊行会)

以前のインタビューで「日本人としてのプライドがものすごくある」と話していた羽生選手ですが、70年以上の時を経てもなお、「日本人の芯」というものは繋がっているのだと強く感じました。

 

23歳の彼の背中に背負わされたものは、とてつもなく重かったことと思います。

普通の人であれば、その重さに耐えきれず潰れてしまったことでしょう。

しかし彼はそれを自らの力に変えました。そして結果を出し、人々に感動を与えました。

まさに厳しい冬を過ごして、春を迎えた人です。

 

フィギュアスケーター」として生きている彼ですが、彼が私たちに教えてくれているものはフィギュアの素晴らしさだけではないと感じています。

私は、人生の生き方、そして一生懸命の意味を彼から教わった気がします。

山口旅行に行ってきた

めちゃくちゃおっそいご挨拶ですが、新年あけましておめでとうございます!笑

相変わらず決意がぐにゃぐにゃなもので、さっそくブログ放置してました…

2018年もゆるーく、気分で更新していくと思うので、どうぞよろしくお願いいたします。笑

 

さて、年が明けてさっそく旅行に行って参りました!それも山口県ー!

彼氏が企画してくれた旅行なのですが、クソ長い連休だった私は、前日に一足先に徳山入り。笑

夕方に徳山に着き、ホテルに荷物を置いて急いで外へ。

急いだ理由はズバリこれです。

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松政があった場所の写真を撮りたかった!

暗くなる前に撮れてよかった(^o^)

松政があった場所は、今はピピ510という駐車場になってるという話を見たのでずっと行きたかったのですが、今まで徳山行っても何だかんだ時間なかったりで行けなかったので、念願が叶いました!

そして、駐車場の写真を色んな角度から撮る女と化しました…

駅からちょっと歩くので、島とか駅から松政に向かって歩く搭乗員の方々の事を想像したり…。

 

一人で徳山の街を歩くことなんて今までなかったので、この日は心ゆくまでぐるぐるしました。笑

そしておセンチな気分になって石原裕次郎を聴きました(新年から外れるネジ)

 

2日目は、彼氏と徳山で合流して喫茶店でモーニング!

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このボリュームで500円。

コーヒーサイフォンだったし!食後に昆布茶貰ったし!最高でした!!

前日の散歩で見つけて気になったカフェだったのですが、初っ端から大当たりでした。

 徳山は昔ながらの喫茶店が沢山あってわくわくします(^o^)今度は別のお店も入ってみたい!

 

フェリーに乗って大津島へ🚢

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晴れてよかった!

着いてさっそくコンビニで買ったおにぎりを頬張る。笑

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大津島では、いつもここでご飯食べます。

波打つ音が静かに聞こえるお気に入りスポットです。

 

お腹を満たしたところで、魚雷発射場を見学してから、回天記念館へ。

亡くなられた回天隊の方々の名前が刻まれた石が並んでいる道を、一人一人のお名前を見ながら歩いていると、ふと見覚えのある…折り鶴が…!

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追悼式の時に置いた折り鶴が、川久保さんのところにだけ残ってました。

なんだか嬉しかった(*^o^*)

 

彼氏に「ガイドするから一緒に行こう!」と言ってた大津島訪問でしたが、記念館では一人でひたすら遺品を見つめてメモを取って(しかもなかなか動かない)放置状態だったので本当に申し訳なかったです…

ゴリゴリにメモをとり、終いには「字が読めないから読んで」と手紙の字の解読をさせるジャイアンな私…

調べて解読してくれてありがとう…

調べても分からない字は、館長さんにガンガン聞いてくれる彼氏は神でしかなかった…(私はスーパー人見知り)

 

館長さんもとってもとっても優しくて、講演会でよくお話しする塚本さんと本井さんの遺書のことや、女学生の方々から峯さんへ贈った血染めの鉢巻のお話などをしてくださいました。

特に鉢巻は、当時の女学生が自らの指を切って軍人さんのために書いたもの。彼女たちがこのように戦争の時期を過ごし、戦後はそれによりさまざまな苦悩があったということを、今の女性にも知ってもらいたい、と強く仰られていました。

貴重な時間を本当にありがとうございました!

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名残惜しいけど、夕日とともに大津島を去る、、、

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夜もゆっくり徳山泊。徳山で2泊もできるなんてなんという幸せ!

夜ご飯はずっと気になってたカルボミートを食す。

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カルボナーラとミートソース、合う!美味しかったです。

 

港の近くにあるセブンでずっと飲みたかった日本酒の「回天」が売ってるのを発見して、感激しました!地元半端ない!

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辛口系だけど飲みやすくておいしかったです。

小瓶を置いてくれてたのも嬉しい。

 

3日目は徳山から下関へ…

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徳山駅はふぐのふるさと的な言葉が書いてありましたが、新下関駅はよりふぐふぐしてました。笑 もはや祭り。

 

そして唐戸市場に行って海鮮を満喫。

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お寿司に…

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カニ汁…

あとめちゃでかいエビフライとかふぐ汁とかとにかく食べまくりました…山口のお魚美味しすぎてつらい…

美味しすぎてここは圧倒的にリピ希望です。いつかまた必ず行くよ…待っててねオスシ…

 

その後はドライブがてら角島大橋へ。

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ちょっと曇ってたのにこの絶景。

海の水がめちゃくちゃ水色でびっくりしました。

 

この日は萩の旅館に泊まったのですが、

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夜ご飯に大量のふぐ…!(ここからさらに何品かふぐ料理が増えました)

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(蓋閉めたままでわかりづらいけど)朝もまさかのふぐ祭り…!

実は今回人生で初めてふぐを食べたのですが、まさかの今までの人生分ぐらいふぐを食べるという…

どんな贅沢やねんって自分につっこむレベルでした。ありがたや。

 

そんな感じで山口県をまるまる楽しむ旅ができて大変いい年明けでした(*^o^*)

 

ちなみに、山口県出身の搭乗員は村上克巴さん、福本百合満さん、吉本健太郎さん、石田敏雄さん、八木寛さんの5人。

お魚が美味しくて、海が綺麗なところで生まれ育ったのだなあ、と実感(*´-`* )

その土地の食べ物や名所に触れることで、彼らに関して「こういうものを食べてたのかな」「こんな景色があるところで育ったのか!」などと色々想像し、そして体感できるので、これからは基地があった場所だけではなく、日本全国、色々なところに行ってみたいなあと思いました。

もっけだの、酒田!

山形県酒田市

私が尊敬して止まない柿崎実少佐の出身地です。

ずっと行きたい行きたいと思っていましたが、東京から意外と遠い上に、東北には御縁がなかったものでなかなか行けず…。

念願叶って先月、ついに地を踏むことができました!初山形!

 

東京から0泊2日の車旅でした←

前日夜からひたすら走る…途中車中泊で朝からまた走る…

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この看板が見えた時に、酒田きたんだぁ!って実感がわいてテンションが上がる。笑

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酒田駅到着。

前に買った戦前の酒田市勢要覧を持って行って、だいたい同じ位置から写真を撮ってみました。

 

ちなみに市勢要覧、昭和12年のものなのですが、裏に誰かが書いた「酒中」の文字があり、しばらく経ってから気づいてびっくりしました。笑 うれしい!!(もはや変態の域)

 

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駅前には獅子舞が。

酒田のいたるところに獅子舞がいて、なんでなのか気になっていたのですが、どうやら昔から酒田では魔除け的な存在で親しまれてきたようです。

 

酒田に到着した時は、「柿崎さんの生まれ育った街に自分が立っている」という感動で思わずジーンと来ました…。笑

 

滞在時間が限られていたので、この後はダッシュで行動。ので、淡々と書いていきます。笑

 

真っ先に向かったのは妙法寺

柿崎さんにご挨拶させて頂きました。

念願の場所に来ることができて、ただただ感無量。

 

その後はYouTubeで戦前にお祭りやってるのを見て行ってみたかった日枝神社へ。

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ここも、昔の写真と同じところから!

工事してて色々覆われてました:(;゙゚'ω゚'):

どうやら光丘文庫のトイレ?の解体作業が行われていたようで…

日枝神社は駅前にあった神社と比べて、ひっそりとしていて、落ち着いた雰囲気の場所でした。

 

山居倉庫でお土産を買いまくった後は、柿崎さんの母校である旧制酒田中学の現在の姿、酒田東高校へ。

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とても立派な高校でした…

私の母校とは比べ物にならないレベル…笑

 

そんな感じでお昼過ぎには酒田を後にし、無事に旅は終了です。笑

 

柿崎さんのお墓の建立が11月なのを現地で知り、酒田市勢要覧の「酒中」の文字の横に記されていた日付が11月なのを帰ってきてから知り(←)、11月に行けたのも、なにかの縁かな?と思っておくことにします(*´-`)

 

今度は新幹線で行って、ちゃんと宿泊して、ゆっくり酒田を堪能したい!!笑

また絶対行きます。酒田もっけだのー!

平成29年度回天烈士並びに回天搭載戦没潜水艦乗員追悼式に参列してきた

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回天隊を知ってからずっと、いつか絶対参列したい!と思っていた回天追悼式。

友人Kさんに誘っていただき、今年とうとう参列してきました。

関係者オンリーの式かと思っていたのですが、一般枠もあるということを知り、もうこれは行くしかない!と。笑

まさかこんなに早く願いが叶うなんて…という感動とともに、誘ってくださったKさんに本当に感謝です😭✨

追悼式の記事が上がっていたのでひとまず貼り付けておきます。

www.47news.jp

 

式前日に徳山入りして、当日9時ごろフェリー乗り場へ。

すでに待っている方が何人もいらっしゃり、乗れるか心配でしたが、臨時便が出ていたおかげですんなり乗れました☺️

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フェリーで大津島に向かう途中、潜水艦を発見!

すごい😳😳

 

大津島に着くと、早速猫ちゃんたちが。

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ご飯の時間も終わったのか、みんなごろごろしてました。笑

 

記念館まで坂をのぼって、受付へ。

受付中、ふとテーブルの隅を見ると本が置かれていました。

何か見たことあるなこの表紙の写真…あれ、ミシシネワの写真じゃないか…これが表紙ってことはまさか…

と思って著者名を見ると「マイケル・メア」の文字!

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マイケル・メアさんはアメリカ視点で回天の本を書かれているのですが、英語の本なので正直今まで購入を躊躇っていました(;´д`)英語全くわからなくて…←

でもやっぱり気になるので、辞書片手に翻訳して読むか!と決意して、ア○ゾンのカートに入れたところまでいっていたのです。

 そしたら!まさかの!翻訳版が発売されてました!

もうついてるとしか言いようがありません( ;∀;)ありがたや…

回天顕彰会より、自費出版で11月8日に発売になったようです。

書籍出版に関する詳しい経緯は下記の記事をご覧下さい。

回天伝える英書を翻訳 周南の顕彰会 追悼式までの発刊目指す | ヒロシマ平和メディアセンター

 

受付が済んだ後は烈士の石碑にお供えをしました。

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お供えができるかどうかも分からなかったのですが、石碑を見ると既にお花やお酒や飲み物、お菓子などが置かれていたので、ホッと一安心。

自分が持ってきたお供えもひっそり置かせて頂きました。

 

10時半から追悼式がスタート。

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詩吟や尺八演奏、太鼓演奏、空自と海自の展示飛行、献花、中学生のスピーチ、など、盛りだくさんの内容でした。

献花は一般参列でもさせて頂けて、嬉しかったしめちゃくちゃ緊張しました…!

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式が終わった後は回天記念館へ。(当日は回天記念館の入場が無料でした)

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入館者が30万人いったそう。おめでとうございます!

これからもたくさんの人が訪れる記念館となりますように。

記念館では彼らの遺品や遺筆を久しぶりに肉眼で見て、追悼式のことも含めて改めて色んなことを考えました。

 

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綺麗に晴れてて、気温も丁度良く、とても気持ちのいい日でした。

 

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今まで大津島であんまり猫ちゃんと遭遇することってなかったのですが、今回はいっぱい出会えて可愛かった(*´-`* )

 

大津島を離れる時はいつも「帰りたくない;;」ってなるけど、この日は特に強く思いました( ;∀;)

 

追悼式、これからもずっとずっと、代が何代も変わっても続いて欲しいです。

全国で慰霊祭とか色々あるけど、そういうのも全部大事だからなくならないで欲しい。切実にそう思います。

それには「参列する人がいる」ということが必要不可欠です。

慰霊祭情報があまり広まってないのも現実なので、知ろうとすること、発信していくこと、そして足を運ぶこと、というのがこれから大事になってくるんだな、と感じました。

私自身も一歩ずつ、頑張って行きたいです。

 

来年もまた行きたいなあ…。

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