紫紺の空の一つ星

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沖縄にある海軍戦没者慰霊之塔と回天特攻隊

沖縄県豊見城市にある海軍壕公園の、旧海軍司令部壕。

ここはかつて沖縄方面根拠地隊の司令部が置かれていた場所であり、今も壕は当時のままに、整備がなされ内部見学ができるようになっています。

ビジターセンターの入り口の近くには、海軍戦没者慰霊之塔が。

この塔が建つ場所は「火番森(ヒバンムイ)」と言い、琉球王朝時代、他所から入港する船を首里王府に知らせるため、狼煙を上げていた高台です。故に、那覇の街、そして海も見渡せる、景色がとても良い場所。

沖縄出身海軍軍人の方々は、ほとんどの方が「慰霊塔を建てたい」という思いを持たれていたようですが、その沖縄出身海軍軍人の一人である宮城嗣吉さんが「火番森に慰霊塔を建てたい」と、初めに行動を起こしました。その行動は後に沖縄海友会となる「海軍戦没者慰霊之塔建立発起人会」へと引き継がれ、昭和33年、無事に慰霊塔が建立されました。

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この慰霊塔は、この土地で戦った沖縄方面根拠地隊のみならず、沖縄戦に参加した部隊が合祀されており、作戦海域が沖縄だった回天特攻隊の隊名と、その作戦中に沈没した潜水艦、白龍隊を乗せた第18号輸送艦も、参加艦船部隊名の碑にその名が刻まれています。

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参加部隊名の刻名に携わっておられたのは、安里芳雄さんというお方です。

まだ今の慰霊碑ほど部隊名の詳細が刻名されていなかった時、「うちの部隊名を刻名できないか」という相談がありましたが、既に銘板に余白はなく、どうしたものかと悩まれていました。

しかし、ある日たまたま海軍壕に訪れた際、慰霊碑の前に部隊名が添えられた花束や供花が数多くあるのを目にしました。毎年生存者や遺族が慰霊をしに来られている事を知った安里さんは、新たに刻名し直すことを決意されます。

当時の不正確な資料が多い中での調査や、沈没地点の範囲の限定に関する問題等、様々な困難がありましたが、2年間を調査に費やし、昭和56年、慰霊碑が新たに完成しました。

御遺族、生存者、そして英霊を思い、沖縄に関係する部隊をできるだけ多く刻名しようと力を尽くしてくださった安里さん。その思いと行動に、ただただ敬服するばかりです。

突然個人的な話になってしまい申し訳ないですが、今年から沖縄にひょっこり引っ越してきた私。まさか沖縄に回天隊が関係する慰霊碑があるとは思ってもいなかったので、とても驚きました。そして、ただ彼らを追っているだけの身ではありますが、とても嬉しく思いました。

回天隊含め合祀されている皆様を思い、今後定期的に参拝しようと思います。 

 

慰霊碑に回天隊が含まれている理由について、安里さんのお話を引用します。

旧海軍艦船は沈没場所が多方面にわたり、太平洋の真中であったり、外国の沿岸であったりで、遺族生存者にとっては慰霊祭を行う場所がなく、最も近い島にその場所を求めるというのが実情でありますので、太平洋、東支那海等での沈没艦艇の慰霊のよりどころとしてわが沖縄が選ばれるのも無理からぬことかと思われます。ましてや従事した作戦が沖縄防衛戦にかかわりがあったとすれば、なおさら沖縄が適地でありましょう。

そのために戦艦大和を中心とする沖縄海上特攻作戦参加艦艇や、沖縄方面作戦に従事中の米国艦艇を攻撃のため沖縄東方の太平洋に沈没した潜水艦回天隊等も含まれているのであります。

(沖縄海友会.(1984).『25年の歩み』.沖縄海友会.頁:68)

 

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以下、合祀されている回天隊・潜水艦・輸送艦の詳細です。

参考資料:沖縄海友会.(1984).『25年の歩み』.沖縄海友会/回天刊行会.(1976).『回天』.回天刊行会

回天隊

・多々良隊(土井隊):土井秀夫中尉、亥角泰彦少尉、館脇孝治少尉、菅原彦五二飛曹、西山隆一曹(整備員)、赤星敏夫一曹(整備員)、伊藤二三男水曹(整備員)、野口藤太郎水長(整備員)…計8名

・多々良隊(福島隊):福島誠二中尉、八木寛少尉、矢代清二飛曹、石直新五郎二飛曹、宮崎和夫二飛曹、川浪由勝二飛曹、熊野義隆一曹(整備員)、谷村昌寿二曹(整備員)、桑原竹二二曹(整備員)、沢井滝夫水長(整備員)、遠坂末喜水長(整備員)、物部信一郎水長(整備員)…計12名

・天武隊(八木隊):八木悌二中尉、松田光雄二飛曹、海老原清三郎二飛曹、安部英雄二飛曹…計4名

・天武隊(柿崎隊):柿崎実中尉、前田肇中尉、古川七郎上曹、山口重雄一曹…計4名

・振武隊(藤田隊):千葉三郎一飛曹、小野正明一飛曹…計2名

・轟隊(小林隊):小林富三雄中尉、金井行雄一飛曹、斉藤達雄一飛曹、岩崎静也一飛曹、田辺晋一飛曹、釜野義則二曹(整備員)、梅下政男二曹(整備員)、坂本茂水長(整備員)、高沢喜一郎水長(整備員)、藤原昇水長(整備員)…計10名

・多聞隊(勝山隊):勝山淳中尉、関豊興少尉、荒川正弘一飛曹、川尻勉一飛曹…計4名

・多聞隊(伴隊):伴修二中尉、水井淑夫少尉、林義明一飛曹、小森一之一飛曹、中井昭一飛曹…計5名

・多聞隊(成瀬隊):成瀬謙治中尉、上西徳英一飛曹、佐野元一飛曹…計3名

・白龍隊(河合隊):河合不死男中尉、堀田耕之祐少尉、田中金之助二曹、新野守夫二曹、猪熊房蔵二飛曹、赤近忠三二飛曹、伊東祐之二飛曹…計10名(※基地要員120名、搭乗員7名、氏名判明者は合わせて14名であるが、合祀部隊名一覧に10名とあったため)(7/7追記:旧海軍司令部壕の事業所の方に問い合わせたところ、沖縄海友会さんでも個人名の把握はされておらず、当時に判明していた人数が10名だったのではというお話でした)

 

潜水艦・輸送艦

・伊44潜(多々良隊):増沢清司艦長以下129名

・伊56潜(多々良隊):正田啓治艦長以下122名

・伊361潜(轟隊):松浦正治艦長以下81名

・第18輸送艦(白龍隊):大槻勝大尉以下225名

 

海軍戦没者慰霊之塔に合祀されているすべての御霊の安らかなることをお祈りいたします。