紫紺の空の一つ星

趣味まるだしのブログ。回天特攻隊が中心。ご来訪頂き感謝致します。

私が歴史に対して勘違いしていたこと

※注意※

思ったことをそのまま心の整理としてつらつらと書き綴っているので、間違っていたり、文章がおかしかったり、読みづらかったり理解不能な部分があるかと思いますが、ご了承ください、、。笑

 

 

私はずっと、歴史を調べれば、絶対的な(この時点で、世の中絶対なんてものはないよっていうツッコミは我慢してください…話が終わってしまいます…←)事実を知れると思っていました。

この時代(大東亜戦争)に興味を持ったのも、「本当はどうだったのだろう?」という、事実を知りたい気持ちからでした。

 

しかし、調べていくうちに、一つであろう「事実」を知ることはできないということに気づきました。

資料に書いてあるからそれが100%あったとは言い切れないし、逆に書いてないからそれが100%なかったとも言い切れない。

実際にこの目で現場を確認できないので、可能性的な話はできても、絶対は言い切れません。過去が過去である以上、確実なものは掴めないのです。

 

例えば、私が友人にポロっと言った一言も、私またはその友人が形に残るもので記録しない限り未来には残せないので、未来人からすれば私の一言は「なかった」ことになってしまう。実際は「あった」のに。

この話の逆も然り。(言ってもない事を書かれて言ったことにされている、とか)

そして私がいなくなった未来にいる未来人は、過去に行ってその現場を確認することができないので事実はわかりません。

…例えがクソみたいですみません。笑

 

そんなこんなで、だからこそ書物や記録などから解釈し、歴史を定めるのだな、と分かりました。

これが所謂世の中での「歴史的事実」であり、そしてそれは私の思っている「100%の事実」とは違うものでした。

 

そもそも、今私たちが生きているこの時間だって、1分1秒過ぎれば過去のものになります。

さっきテーブルに出してたコップも、出てた時は出てた事が事実でも、しまってしまえば、記録をしたり写真を撮ったりしていなければ事実としての証明ができないことになるから…ここまで考えて脳みその運動が止まりました。笑

 

話はそれましたが、この話題は

「事実とは言えないものなら、もう何も信じない!」

とかいう話にしたいのではなく…笑

 

歴史的事実は、歴史を決める偉い人たちがどう解釈し、どう定めるかによって、(もちろん、事実に一番近いであろう事が)残ったり変わったりしていくものだと、私は理解しました。

であれば、先人たちが残してきた、そして歴史研究家の方々が見つけ出した様々な情報を、自分はどう解釈し、何を信じるか。そしてそれを自分に、現代に、どう活かすか。

何を歴史に残したいか。

何を後世に伝えていきたいか。

私が歴史を調べ、知る、本当の理由はここにあるな、と思いました。

 

私は回天隊を歴史に残したい。

彼らの生き様を、言葉を、思想を残したい。

これからも調べ、学び、発信していこうと思います。