八雲の艦内新聞で見つけた福島誠二少佐の一面
軍艦「八雲」の艦内新聞、その名も「行脚」。
柿崎さんが、兵学校卒業後八雲乗組になったということもあり、なにわ会HP(http://www.naniwa-navy.com/)(いつもひっそりと覗かせていただいている72期生とそのコレスのみなさんのHPです!)の「八雲残照」「八雲行脚」はチェックしておりました。
「八雲残照」http://www.naniwa-navy.com/burogu2209yagumozansyou.html
「八雲行脚」http://www.naniwa-navy.com/burogu2207yagumoanngya.html
「八雲残照」によると、この艦内新聞、少尉候補生たちが記事を書いていたようですが、最初は兵学校の「自啓録」のような真面目な内容だったものの、だんだんとユーモア溢れるものになっていったようです。
9月20日と9月21日に、柿崎さんが言葉を残していますが、自分の仕事、成長としっかり向き合っている柿崎さんの様子がよくわかります。
そしてついこの間、小灘さんと柿崎さんの他にも、吉本さん、久住さん、福島さんも八雲乗組だったということを知りまして。
艦内新聞を読み返してみたところ、10月5日に福島さんが言葉を残されていました。すっかり見落としていたーッorz
福島さんの印象は、横田さんの本や小灘さんの証言を読んで、大人しくて、滅多に殴らない、そして田中絹代さんが好き← という感じでした。福島さんのお話をあまり目にする事もなかったので、大人しくて優しい方なんだなあ〜と思っていました。
しかし、彼の個性はそれだけではなかった。笑
10月5日、みんなで灰ヶ峰に登ったようなのですが…
「灰ヶ峰登山は相当疲労。何等得るところなし。浩然の気を養はんには上陸にしくはなし。」
(「八雲行脚」より)
福島さん、最高にロック!!!(*゚▽゚*)
艦内の人なら誰でも見れちゃう艦内新聞で、ご自分の思ったことをよくぞありのまま書かれた…!
新たな一面を知ることができて、とっても嬉しかったです。私の頭の中に、福島さんはロックなお方だという事がインプットされました。笑
元広島県民の母によると、「和歌山(福島さんの故郷)の海とか見てたら灰ヶ峰から見える景色は物足りないかもねー」と。
多くの人が同じ事をしたり同じものを見ていても、その人が育ってきた環境によって感じる事がそれぞれ違う。これは当たり前の事だけど、人物を知る上でとても興味深い点の一つです。
福島さんの遺された言葉で印象的なのは、兵学校の試験に落ちてしまった弟さんへの手紙の中の一節。
「出る月を待て、散る花を追うな。徒らに過去を悔やむ者は、馬鹿の骨頂だ。」
(回天刊行会「回天」より)
どんな道を歩もうとも、自分が、これが一番国に尽くせる道だと思った道を選択しろ。そう弟さんに仰られていた福島さん。
福島さんが如何に「自分」というものを持っていたか、艦内新聞によって改めて知る事ができて嬉しいです😊
海軍兵学校江田島青春譜を見た
ちょっと前に中古で購入した兵学校72期、73期、74期のVHS「海軍兵学校江田島青春譜」。
家に眠ってるビデオデッキで見ようとしたらビデオデッキがぶっ壊れてて見れなかったのですが、最近やっと買い直したので無事見ることができました。笑
貴重な映像、写真、音声が詰まってて、ただただすごいの一言。
しかしこの時期の兵学校なので、人数がめちゃくちゃ多くて、分隊別写真コーナーの時間じゃないと知ってる人を探すのはとっても至難の業…笑
それにしても、やっぱり兵学校生徒って凛々しくてかっこいいですよねえ(*´-`* )
なんだろうか、あの言い表せないかっこよさと清らかさは…
私、兵学校生徒が本当に大好きで、純粋に憧れの存在なのです…笑
兵学校生徒の写真や映像を見る時は、乙女のようにキャーキャー言ってしまいます。笑
今の時代の人はなかなか出せない凛々しさを感じますね!
卒業が戦争末期の兵学校生徒たちですから、この中からどれだけの方が戦死されたかを考えると、本当に胸が痛くなりますが。
溌剌とした若き彼らの姿を、このように今の時代の私たちが見れることに、感謝あるのみです。
仁科関夫少佐のお誕生日なので靖国神社に行ってきた
4月10日は回天菊水隊仁科関夫少佐のお誕生日。
曇っていたけど雨が降ることはなさそうだったので、靖国神社へ。
おめでとうとありがとうを伝えて、桜の写真を撮りまくりました。
やはり結構散ってしまっていた、、
でも今年も、よくこそ咲いてくださった。
みんな綺麗です。
歩いていたら一枚だけ胸に飛び込んできた桜の花びら。
なかなか桜キャッチできることがない人生だったから嬉しくなって、パスケースで押し花にしてます。笑
もらった御朱印が達筆すぎてかっこよすぎて膝から崩れ落ちました…なんだか仁科さんっぽいなあと思ったり。
そういえば黒木さんのお誕生日にもらった御朱印も踊るような字で、黒木さんっぽいなあって思ったなあ。笑
帰り際に遊就館の売店に寄って本を購入。
ずっと、いつか買おうと思ってた片山利子さんの本と、パラパラしてみて読みやすそうだった古事記の本!
古事記はやっぱり、日本人として知っておかなきゃなあと思って。もともとクリスチャンホームということもあり、神話とか全然未知の世界なんで…
なので読みやすいものを探していたのですが、この本が子供も読めるくらいやさしい内容になっていて「これだ!」となりました。
あと、あらすじみたいなところに「自分らの国の神話知らん民族は滅びるで」みたいなことが書いてあったのも、購入ガチ決めした理由の一つ。笑
二冊とも頑張ってよもーう\(^o^)/
ここで、仁科さんが14歳の誕生日を迎えた際に書いた日記を。
「今日は僕の誕生日だ。ぼくもこれで満十四歳になったのだ。実に十四年一日の如く、光陰矢の如し。もう十四年の月日は流れたのだ。うかうかしてはおられぬ。やがて年をとるだろう。しっかり励もう」※現代仮名遣いに直しています
(前田昌宏「回天菊水隊の四人」より)
まるで自分の人生を理解しているかのような14歳の彼の言葉に、ただただ驚くばかりです。
そして今日は回天轟隊久家稔大尉のお誕生日。
彼が遺した言葉で、私の中に印象が残っているものをひとつご紹介します。
妹さん宛に遺した言葉たちの中にある一節。
「蓮の花は泥沼のなかにありながらあのような清らかな花を咲かせる。いかに汚穢に充ちた世界にあっても、信念を堅く持っておれば、それには染まらず、生きて行けるものである。」
(回天刊行会「回天」より)
魚住少尉命中を見た
もともと、このドラマ内で搭乗員が「回天節」を歌っている、というのをネットで知り、それが聴きたい理由を一番として、見たいな〜と思っていた作品。
しかしネットで出品されているDVD(廃盤のため)は、大体5000円ほど…回天節を聴きたいという理由だけではなかなか手をつけられずにいました。
そんなこんなで1年以上スルーしちゃってたのですが、この間ふとこの作品のことを思い出し、ネットで作品のレビューをなんとなーく読んでいると、高評価ばかり。
これは回天節関係なく見るべきものだ!と確信し、やっと購入。
今の感想は、ただただ、買ってよかった。
すっっっっごい作品だった。
主観で話すと、私が今まで見た回天関係の作品の中で、一番ヘビーでした。いい意味で。
「物語」の作り方が、とにかくすごい。
ドラマの全体の時間は60分。回天が発進してから命中までの時間は大体30〜40分。
そう、この作品はドラマ内で、リアルタイムで回天発進〜命中を再現しているのです。
もう、始まってから終わるまで身体がガチガチに緊張してやばかった……
そして魚住少尉が命中した直後からの自分の身体の力の抜け具合と、艦内のみんなのそれぞれの表情を見て、しばらくぼーっとしてしまいました。
DVDのパッケージに書かれているあらすじに、「「1隻でも油槽船を沈めることが出来れば、B29はその分だけ、本土に爆撃が出来なくなる。そうすれば、何万かの日本人が生き延びることが出来る、だから僕は出撃する。」これか魚住少尉の選んだ生き方であった。」とあります。
本編での魚住少尉の言葉も含め、小灘利春さんが書かれた「特攻回天戦」に載っていた、吉本健太郎中尉が仰られたという「生をうけたその時代が求める最善」という言葉を思い出しました。
DVDには演出の吉田直哉さんのインタビューも収録されていたのですが、吉田さんがドキュメンタリー番組からドラマ制作に転向したワケは、「回天の発進から命中までの時間を再現したかったから」。
ドキュメンタリーで再現できるものではないと思い、この作品を作るためにドラマに転向したとか。
発進してからの魚住少尉の回想は、もちろん吉田さんの憶測、完全なフィクションとなるわけですが、その回想シーンがまたこりにこっているんです…。
「人は何か思い出す時って、映像と音声ってバラバラだと思うんです。」
なるほど、だから喋ってないのに喋ってたり、映像に音がなかったり、突然歌が聞こえたりするのか…!と納得。
またこの作品は、回天搭乗員の方々の手記や実話を元に作っているそうで。
魚住少尉が恋人に宛てた手紙内に、本井文哉少尉のご遺書が引用されているのは分かりました。
そして魚住少尉が、決して後ろ向きではなく、前向きに淡々と雄々しく描かれているところも、すごく良いです。
あと、21歳の中尾彬がイケメンすぎてつらいです…(;ω;)←
回天節もしっかり歌われてて、よかった!
メロディを知ることができて嬉しいです。
潜水艦内に、そして魚住少尉の脳内に入り込む60分。
最後に、艦内で聴く魚住少尉の「命中音」。
これはすごい。
本当にすごい。
見れてよかった、本当に。
特攻隊全戦没者慰霊祭に参列してきた
去年特攻隊戦没者慰霊顕彰会の会員になったばかりなので、今年初めに案内を頂いて、慰霊祭の事を初めて知りました。
慰霊祭に参列すること自体が初なので、だいぶ前からそわそわどきどき…
失礼はなかっただろうか…
でも、感謝の気持ちと、魂の安らぎをしっかりと祈ることが出来て本当に良かった!!
式では奉納演奏として「ふるさと」の合唱があり、この間の大津島のおじいさんの話を思い出して泣きそうになりました…。
全国で行われている慰霊祭等に参列する人数が減りつつあるというお話を聞いて、これからは積極的に動きたいなあ、と思いました。
「次の世代に繋げる」の「次の世代」にいる者として…
桜は…ちょびっと咲き!
今年も、美しく咲いてくれる事でしょう。
広島・山口旅行その④
3/20、この日は三好守中尉のご命日。
せっかく山口にいるのだから光基地に行こう、と思い光井港にやってきました。
光井港に来たのも一年ぶり…
前回は日没ギリギリに来た上に携帯の電池が切れてろくに写真が撮れなくて泣きました( ;∀;)
今回は雨の危険性があったのですが、到着したのは朝だったので少しの曇りだけで免れました!よかったー!!
回天の碑の真横で、おじさま達がお船の整備をしておられて……
そーっとお供えをして手を合わせたのですが、一人のおじさまに「おじいちゃん?」と聞かれる。笑
動揺しまくりで「いや、違うんです!本で読んで来ただけです!」と答えたらめちゃくちゃ不思議な顔されてしまった…笑
そりゃそうですよね…すみません…
しかし、「大学生?」と聞かれたのは正直嬉しかった(*´-`* )←
三好さんは、私が初めて読んだ回天の本、元回天搭乗員横田寛さんの「あゝ回天特攻隊」に出てきたので私の中でとても印象的な方。生まれも近いし!
部下や家族に対する愛が誰よりも深いし、ユーモアもあるし物怖じもしない。
何より横田さんが、血の繋がった兄貴と言わんばかり慕っている姿を見れば、魅力的な人だということは十分わかります。
72年前に思いを馳せて。
どうか安らかに。
これにて今回の旅は終了。
広島・山口旅行その③
3/19、Kさんは早朝に呉へと旅立たれたので、一人で一年ぶりの大津島へ。
ここ最近私生活で色々とあり何も調べていないどころか本も全く読んでおらず、下準備ができていないままの島散策……
しかし最近回天記念館のホームページがリニューアルされて、菊水隊の短刀伝達式や写真撮影を行った場所などがどこかが詳しく紹介されていたので、ホームページを見ながら色々と回れました(^-^)
まずは基地入口門の門柱。公園の中にあったのか……
奥にある階段をのぼってみると……
こんな景色が!!
初めて来た!!3回目の大津島だけど!!(もっと調べて行きましょう)
しばらく海をじっと眺めて、トンネルへ。
酸素魚雷発射試験場のとこには、釣りしてる人がたくさんいた。
その後は回天記念館へ。
柿崎隊の方々の墓碑のすぐそばには、黄色いお花が咲いていました。
そして短刀伝達式を行った場所には、桜が咲いていました。
記念館はいつ来ても、全て見て回るのに2時間はかかります…
ちなみに記念館のトイレの真横が、写真撮影をしていた場所らしいです。
ここであの写真を…と考えるとしばらく動けなくなりました。
記念館を出た後は時間があったので…
ずっと行こうと思っててなかなか勇気が出なかった魚雷見張り所に行ってきました。
もうね、想像してた以上に、めっちゃ山。←
普段運動全くしないサイドの人間にとって過酷すぎて、途中で登ったことを後悔すらしました(′;ω;`)笑
しかし負けたくないので(謎の闘い)ガクガクする足を必死に動かしてとうとう見張り所へ…!!
THE・綺麗!!!!(;▽;)
こりゃめちゃくちゃ見張れるわあ〜!!!
ちなみに建物は敷地ギリギリのサイズなので写真にはおさまりませんでした。笑
登山を終えて清々しい気持ちで港付近に戻るもまだまだ時間はある……
ということで今まで歩いたことなかった海沿いの道を歩いてみました。
するとこんな看板が……
なんだこの比較しやすい看板は( ;∀;)
君とはもっと早くに出会いたかったよ( ;∀;)(もっと行動しましょう)
ホームページの内容も合わせて読み返したところ、どうやらこの茶色くてちみっとまるっとしたもの(係船柱というらしいです)が当時の陸と海の境目の意味を持つようで……
今は埋め立てられて敷地が広がってるようです。
大津島より出撃した彼らが見たであろう景色の現在の姿。
ひと通り見て回ってもフェリーの時間はまだまだ来なくて、公園をうろついてたら島に住んでるおじいさんに声をかけられました。
戦争当時の島の話などをたくさんしてくれたのですが、そのおじいさんは仲の良い潜水艦乗組員の方がいたらしく、よく島に来ては一緒に飲み、当時の話を聞いていたとか。
その乗組員の方のお名前を聞いて、思わずおじいさんを2度見してしまった…
本も出版しているし証言もしてらっしゃる伊366潜の池田勝武さんでした( ゚д゚)
池田さんは当時の話をするといつもポロポロと泣き、飲んで童謡の「ふるさと」の3番を歌っていたそうです。
ふるさとの3番:
こころざしを果たして
いつの日にか帰らん
山は青き故郷
水は清き故郷
おじいさんは「帰れるわけないのにねえ…」と言っていたので、搭乗員の方が歌っていたのを思い出し池田さんが歌った、ということなのでしょうか…
どちらにしてもふるさとの歌詞の3番の意味を深く考えたのはその日が人生で初めてで、心に響いて泣きそうになりました。
ちなみにおじいさんは「なぜみんな鉢巻をしていたか分かる?」と。
答えられずにいると、「あの鉢巻はね、自決する時口に挟むんだよ」と仰られました。
戦争の話を直接聞く機会なんて全くなかったので、おじいさんの一言一句が衝撃的でした。
フェリーの時間が来てお別れしましたが、とても貴重な体験でした。
次の日は光の回天の碑を見に行く予定だったので、この日は光に移動して一泊。
次につづく。